東方領主の騎士たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 04:55 UTC 版)
12世紀から13世紀にかけてエルベ川以東へのドイツ農民の東方植民が盛んになった。その農業は当初西部ドイツのグルントヘルシャフトと変わらぬ方法で運営され、農民には大きな自由があり、土地移動や職業変更も認められていた。農民は自己の土地に世襲の所有権を持ち、みずからの社会の内部から村長を出してその裁判権に服していた。農民に課せられた義務は領主に地代、君主であるブランデンブルク辺境伯に税金と年に数日程度の賦役を提供することだけであった。 領主は辺境伯の御料地である場合を除けば辺境伯に領地を与えられた下級貴族の騎士であることが多かった。騎士は領地を頂戴する代わりに辺境伯に戦時奉仕義務を負っていた。彼らがユンカーの先祖である。 14世紀から15世紀には相次ぐ戦争で君主が財政難に陥り、それによって力を落とした君主に代わって貴族が台頭した。ブランデンブルクでも領主が裁判権や賦役権を獲得し、領主たちが農民を直接支配するようになった。賦役も領主個人の私的目的のために濫用されることが多くなった。ペストの大流行で農民の数が減少し、領主も収入を得るのが難しくなり、農民が都市に出ないよう土地に縛りつけることも多くなった。こうして15世紀からエルベ川以東では貴族権力の強化と農民の地位の低下が見られるようになり、16世紀以降にはその傾向が一気に加速した。
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