東ドイツ時代、休止(廃止)までの過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 06:24 UTC 版)
「ナウムブルク市電」の記事における「東ドイツ時代、休止(廃止)までの過程」の解説
ドイツ分割により東ドイツの路面電車となったナウムブルク市電は、他都市の路面電車と同様に国有企業のナウムブルク路面鉄道(VEB Straßenbahn Naumburg)となった。以降は変電所の新設、車庫の近代化に加えて東ドイツの標準型となる二軸路面電車が各都市の中古車を含め盛んに導入された。また1959年には環状線の反時計回りの運行も再開された。 だが市電の利用客は減少の一途をたどり、1970年代以降幾度も存廃問題が浮上した。オイルショックや市民の抗議により全線の廃止は免れたものの、1976年にマルクト経由の支線が廃止された。更に車両や軌道の保守が不十分だった結果施設の老朽化が進行し、1979年(1ヶ月)や1986-87年(18ヶ月)には長期に渡って列車運行を休止し路線バスによる代行運転が行われる事態となった。 東ドイツ時代末期のナウムブルク市電(1989年撮影) ナウムブルク中心部に残る支線の廃線跡(画像中央) そしてベルリンの壁崩壊やドイツ再統一を経た経済情勢の変化により、1990年代初頭にはナウムブルク市電の継続的な運転は困難な状況となった。市民グループによる存続の訴えや各都市の路面電車運営会社からの支援の動きが起きたものの、1991年8月18日をもって道路整備を理由にナウムブルク市電は全線で運行を休止した。翌1992年には開業100周年を記念し短区間で復活運転が実施されたが、保線作業が実施されなかった路線は事実上廃線状態となり、多くの線路が道路を舗装するアスファルトの下に埋められ、車両も多数解体された。
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