朝鮮と後金・清への服属とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 朝鮮と後金・清への服属の意味・解説 

朝鮮と後金・清への服属

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)

文禄・慶長の役」の記事における「朝鮮と後金・清への服属」の解説

朝鮮と明が文禄・慶長の役によって国力疲弊させると、女真族ヌルハチ台頭し1616年までに明からの独立しアイシン国(aisin gurun, 金国後金)を建国した。1619年の明とアイシン国の戦争であるサルフの戦いで、金は明に勝利する朝鮮援軍明に送っていたが、金に降伏し朝鮮は戦う意志無く、明の強制的な要請によって援軍送った」と弁明したヌルハチはこれを許し後金朝鮮侵攻を行わなかった。しかしその後朝鮮クーデター起き、反金・親明政策をとるようになる1624年仁祖対す李适反乱起き、すぐ鎮圧されたが、後金逃げ込んだ反逆者朝鮮侵攻進言ホンタイジ1627年朝鮮侵攻する(丁卯胡乱)。後金軍が漢城到達すると、仁祖降伏し後金を兄、朝鮮を弟とする兄弟としての盟約朝鮮王族人質として差し出すことなどが合意された。しかし、朝鮮には反後金感情強く残った1636年後金が清と国号変更し朝鮮に対して清への服従朝貢、及び明へ派遣する兵3要求してきた際に朝鮮はこれを断り、清は12の軍で朝鮮侵入した丙子の乱)。朝鮮側45日で降伏し朝鮮以後、清の属国となった仁祖ホンタイジ対し三跪九叩頭の礼をし、清皇帝公認する誓いをした(大清皇帝功徳碑)。清への服属日本日清戦争清に勝利し朝鮮が清の冊封体制から離脱する1895年まで続いた

※この「朝鮮と後金・清への服属」の解説は、「文禄・慶長の役」の解説の一部です。
「朝鮮と後金・清への服属」を含む「文禄・慶長の役」の記事については、「文禄・慶長の役」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「朝鮮と後金・清への服属」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朝鮮と後金・清への服属」の関連用語

朝鮮と後金・清への服属のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朝鮮と後金・清への服属のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの文禄・慶長の役 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS