更紗型染め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 03:43 UTC 版)
江戸期の人口は100万を越えて紙の需要も大きく、唐紙の普及と大火が相次いだことで、唐紙の需要も急拡大して、関東の紙漉き郷は、江戸市民に日用の紙を供給する重要な役割を果たした。 そして明治期以降は、襖紙の業界を東京がリードするようになっている。江戸からかみの紋様絵付けは、木版摺りと共に更紗型染めが多く用いられた。木版に絹篩を通して絵具を移して摺る木版摺りは、やわらかい風合いがあるが型染めの捺染では、硬く鋭い鮮明な紋様がやや冷たい感じとなるが、型合わせができるため、多くは三枚から四枚の型紙を用いて染める多色摺りの追っかけ型を用いた。江戸では、しばしば大火に見舞われ版木を消失することが多く、応急にからかみのを作る必要に迫られて、型紙の捺染を用いたものが発展した。江戸からかみのデザインは、捺染に適した小粋な江戸小紋が多用されたのが特徴のひとつといえる。
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