晩期の融資業務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 09:30 UTC 版)
大衆貯蓄は南発の「赤字債券」に投下され、赤字は南発券でごまかしきれずインフレとして顕現した。 南発は大蔵省預金部資金と農林中央金庫に債券を引受けてもらい、大蔵省預金部資金・地銀・生保から長期で借り入れ、そのほか短期借入や日銀借入にも頼り、1944年3月期で2.63億円、1945年3月期で4.54億円を調達した。その資金を軍のあっせんで日本企業へ貸し出した。1945年5月末(外務省記録E173)の陸軍関係融資先として金額のトップは南方運航会社であった(1668万円)。南方運航は1942年1月設立の、シンガポールを拠点とする占領地のみを事業地とする軍政下の海運事業者である。同社の事業は、日本郵船・大阪商船・南洋海運の三社で実務を担当していた。その次は日本軽金属である(1524.6万円)。第三位は石産精工(現新神戸電機、1451.5万円)。第六位は石原産業(1299.1万円)。第七位は林兼商店(953.3万円)。第八位が三井物産(891.8万円)。第九位が古河鉱業(850万円)。海軍関係での融資額では5000万円で日本製鐵がトップ。南洋興発が1399.6万円で二位となった。三位は東北振興水産(800万円)。五位に住友鉱業(771.4万円)。九位に麻生鉱業(531.8万円)。 南発は占領地の開発金融を担うはずであったが、1943年4月1日より政府の軍票発行債務を引き継いで、占領地発券金融機関に転換した。すぐに発行残高が膨張した。支金庫は負債の本支店勘定でそれを計上した。一方では現地通貨貸上金を資産で計上した。占領地のインフレに煽られて、これらの項目は金額を急増した。南発は横浜正金銀行と日系事業者間の取引へ資金を供給した。台湾銀行は南発借入金に依存した。南発は日系銀行以外の印僑系銀行と華僑系銀行にも資金枠を与えていた。占領地日系事業者へは直接にも資金を供給した(軍命のジャワ運航会社、神戸統制貨物運輸株式会社、敵産プランテーションを経営する栽培企業聨合会)。占領地行政主体等へも融資をした(1944年10月20日と1945年1月23日、ビルマ国立銀行貸付)。 1945年5月ナチス・ドイツが降伏すると、南発はギルダー南発券の発行高を急激に増やした。
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