明治以降の学校音楽教育とは? わかりやすく解説

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明治以降の学校音楽教育

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 22:52 UTC 版)

音楽教育」の記事における「明治以降の学校音楽教育」の解説

1872年明治5年)に制定され学制で、小学校で「唱歌」(しょうか)、中学校で「奏楽」という教科設けられた。これが、日本の学校教育における音楽教育始まりとなっている。しかしながら「当分之を缺く」とされ、その内容については、1878年明治11年)、伊沢修二目賀田種太郎音楽に関する上申書提出きっかけ固められ始めたこの中で当時音楽を(大衆音楽なども含めて身分制度引きずるものとして否定し新し国楽推進をすべきという趣旨意見述べられている。1879年明治12年)、政府により音楽取調掛開設され西洋音楽輸入進められるとともに教材なども整備された。なお、教科としての唱歌」が必修になったのは、1907年小学校6年間の義務教育になったときである。 1941年昭和16年)に国民学校令公布され、「唱歌」は「芸能科音楽」と名称変更された。第二次世界大戦後1947年昭和22年)の学習指導要領により教科名が正式に音楽」とされ、内容現在のような歌唱器楽創作鑑賞中心とするものになっている。なお、発声歌唱については学習指導要領最初に告示されたときより、試案の際の研究結果元に移動ド唱法」と「頭声発声」で指導されていた。1998年告示学習指導要領では、小学校では「自然で無理のない声」、中学校では「曲種に応じた発声」を指導するように表記改められている。

※この「明治以降の学校音楽教育」の解説は、「音楽教育」の解説の一部です。
「明治以降の学校音楽教育」を含む「音楽教育」の記事については、「音楽教育」の概要を参照ください。

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