日高川水力電気の事業展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:52 UTC 版)
「日高川水力電気」の記事における「日高川水力電気の事業展開」の解説
1916年8月に設立された日高川水力電気は、資本金58万7500円にて起業されたのち、11月の日高電灯・田辺電灯合併により資本金75万円の会社となった。代表取締役社長は海草郡内海村(現・海南市)の木村平右衛門、専務取締役は小竹岩楠が務める。初代社長の木村平右衛門は東京日本橋に江戸時代から店を構える紀州漆器商木村家の当主で、当時九州水力電気監査役。その他、取締役には坂内虎次(人吉水力電気社長)も名を連ねた。 社名にある日高川での水力発電所建設については、まず1917年(大正6年)10月、柳瀬発電所を着工した。柳瀬発電所は日高郡下山路村大字福井(現・田辺市龍神村福井、地図)に位置し、出力1,800キロワットにて1919年(大正8年)12月17日より送電を開始した。同時に変電所を御坊・由良・田辺の3か所に整備している(翌年2月南広にも追加)。続いて開発された甲斐ノ川発電所は下山路村大字甲斐ノ川(現・田辺市龍神村甲斐ノ川、地図)に所在。南海鉄道学文路変電所とを結ぶ送電線とあわせて建設され、1925年(大正14年)8月に竣工、9月より運転を開始した。発電所出力は1,150キロワットである。また工事中の1923年(大正12年)4月には出力1,250キロワットの御坊第二火力発電所も竣工している。 1922年(大正11年)10月5日、日高川水力電気では3社目の合併として伊都郡高野村(現・高野町)の高野山水電株式会社を吸収した。同社は1913年1月に開業した高野村や九度山町を供給区域とする事業者で、高野村内に水力発電所を持った。合併区域のうち九度山町では、合併後の1924年(大正13年)1月に笠木発電所が完成し2月より運転を始めた。同発電所は紀の川(吉野川)水系の不動川にあり、出力は200キロワットであった。 経営面では、1919年1月に倍額増資を決議。1921年10月には再度の増資決議により資本金を一挙に500万円とし、さらに翌年の高野山水電合併により520万円へと増資している。
※この「日高川水力電気の事業展開」の解説は、「日高川水力電気」の解説の一部です。
「日高川水力電気の事業展開」を含む「日高川水力電気」の記事については、「日高川水力電気」の概要を参照ください。
- 日高川水力電気の事業展開のページへのリンク