日本ケミコン所属時
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1995年世界陸上イェーテボリ大会女子5000m代表、予選落ち。 1997年世界陸上アテネ大会女子10000m代表、10位。 1998年東日本実業団対抗大会女子10000m出場。31分27秒57(自己最高記録) 1998年バンコクアジア競技大会女子10000m代表、3位入賞・銅メダル獲得。 1999年大阪グランプリ大会女子5000m出場、7位。15分22秒64(自己最高記録) 1999年世界陸上セビリア大会女子10000m代表、31分27秒62の記録で5位入賞。その後、翌2000年シドニー五輪の陸上女子長距離代表選手に早期内定となった(同じくセビリア世界陸上の女子10000mで4位入賞した弘山晴美が、女子マラソンでの五輪代表を目指す為に辞退し、高橋が繰り上がる形で内定となる)。 しかし2000年1月の都道府県対抗女子駅伝で、宮城県チームのアンカーで出場予定だったが、レース前日に足の肉離れを起こすケガで急遽欠場。その後鎮痛剤による副作用で極度の貧血にも悩まされ、全く走れない状態が続いたが、約半年後の同年6月にようやくレースに出走出来るほどに復調した。 2000年9月、シドニー五輪女子10000mの予選は無事通過するも、決勝では序盤から高速のペースについていけず、中盤辺りで先頭争いから脱落。レース終盤では先頭集団に周回遅れとされてしまい、結局31分52秒59の記録で15位に終わった(川上優子は10位、弘山晴美は20位)。 2001年5月、自身初のハーフマラソンとなる地元の仙台国際ハーフマラソンに出場、優勝のエレナ・マイヤーに次いで、1時間11分18秒で2位に入った。
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