日本のオーストラリア警備とは? わかりやすく解説

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日本のオーストラリア警備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:07 UTC 版)

第一次世界大戦」の記事における「日本のオーストラリア警備」の解説

イギリス海軍要請により巡洋戦艦伊吹」がANZAC軍団欧州派遣護衛することになった伊吹フリーマントル経てウェリントン寄港しニュージーランド兵員輸送船10隻を連れ出発しオーストラリアでさらに28隻が加わり、英巡洋艦「ミノトーア」、オーストラリア巡洋艦シドニー」、「メルボルンと共にアデン向かった航海途上で「エムデン」によるココス島砲撃伝えられた。付近航行していた艦隊から「シドニー」が分離されエムデン」を撃沈したこの際護衛艦隊中で最大の艦であった伊吹」も「エムデン追跡求めたが、結局は武勲を「シドニー」に譲った。このエピソードは「伊吹武士道行為」として賞賛されたとする記録がある一方で伊吹艦長加藤寛治は、エムデン発見一報伊吹にのみ伝えられず、シドニーによって抜け駆けされたと抗議している。 以後太平洋インド洋における輸送船護衛ほぼ日海軍引き受けていた。ところが1917年11月30日に、オーストラリア西岸フリーマントル入港する矢矧に対して陸上砲台から沿岸砲一発発射され矢矧煙突かすめて右舷300m海上落下する事件発生したこのような非礼超えたオーストラリア軍態度大日本帝国海軍激怒しオーストラリア軍部隊責任者は、矢矧乗り込んだ水先案内人適切な信号発しなかったため「注意喚起のため」実弾発射した弁明したが、結果的に事件オーストラリア総督オーストラリア海軍司令官謝罪により一応は決着したオーストラリアの日本人への人種差別を基にした、人命にさえ係わる差別的姿勢戦争通じて和らぐことがなく、また日英通商航海条約への加入拒否赤道以北南洋諸島日本領有への反対などでも一切妥協しないANZAC態度は、アジア太平洋地域のみならず第一次世界大戦全体通じて日本の協力必須なものと認識しているイギリス本国を手こずらせた。

※この「日本のオーストラリア警備」の解説は、「第一次世界大戦」の解説の一部です。
「日本のオーストラリア警備」を含む「第一次世界大戦」の記事については、「第一次世界大戦」の概要を参照ください。

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