斎藤利三を巡る争いとは? わかりやすく解説

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斎藤利三を巡る争い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:29 UTC 版)

本能寺の変」の記事における「斎藤利三を巡る争い」の解説

川角太閤記』などのある話。斎藤利三はもともと稲葉一鉄被官家来であったが、故あって離れ光秀のもとに身を寄せて家臣として高禄召し仕えられたので、一鉄信長訴え信長は利三を一鉄元へ返すよう命じた光秀はこれを拒否して畢竟君公の恩に奉ぜんが為」といったが、信長激怒して光秀の髷を掴んで引き摺りまわし、脇差に手までかけた光秀は涙を流して憤怒堪えたとする。 信長事の外、御立腹有て、予が下知にても、聞間敷とや、推参なりと被レ仰、髻を取て、二三間突走らかし給へば、其儘御次の間退出す。光秀が婿織田七兵衛尉信澄、御前在りけるが、此有様見て驚き噪ぎ立つ。信長忿怒余りに、御脇差を抜かんとし給へ共、早く去り静まり給ふ明智御次の間にて、涙を流し面目を失ひたりと云て、我屋へ帰りけり。是を見る人、光秀風情只事ならざる囁きけれ共、御取立出頭人なれば、誰有て御耳に立る者無し頓て御前相済折々出仕なり。 — 『東照軍鑑』 『常山紀談』では「其後稲葉伊予守家人を、明智多くの禄を与へ呼び出せしを、稲葉求むれ共戻さず信長戻せ下知せられしをも肯はず。信長怒って明智が髪を捽み引き伏せて責めらるゝ。光秀國を賜り候へども、身の為に致すことなく、士を養ふを、第一とする由答へければ、信長怒りながらさて止みけり」とある。その他、『明智軍記』『柏崎物語』などにも同種の話があり、怨恨説根拠1つとされる

※この「斎藤利三を巡る争い」の解説は、「本能寺の変」の解説の一部です。
「斎藤利三を巡る争い」を含む「本能寺の変」の記事については、「本能寺の変」の概要を参照ください。

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