ぶんきん‐ふう【文金風】
文金風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 09:20 UTC 版)
文金風については「元文より町人の羽織丈け長くなるは上るり太夫都古路に始るなり(我衣)」「豊後節の流弊次第に淫風に移りて遊市俗人の風俗あらぬものに成行て髪も文金風とてわげの腰を突立、元結多く巻いて巻髪の毛を下より上へかきあげ月代のきはにて巻こみてゆひたり、衣装對尺の羽織を著長きひもを先にちひさく結び、下駄の歯にかゝるようにして、腰の物は落しざしにさし懐手して駒下駄はきて市中をぶらぶら歩行たり(賤のをた巻)」「髪の毛逆だって髪のまげが頂上に上がり眉毛ぬけて業平に似たり羽織はがふして地を掃ひ~浄瑠璃より身振りを第一とまなび小したゝるい風俗して飛あるく輩もおほく、あまつさへ女があられもない羽織で脇差迄さした奴も折節見ゆるぞかし」と酷評で、のちの豊後節弾圧に少なからず影響したものだったが、その反面大衆に広く浸透し、それまで辰松島田と言われていた髪型を「文金島田」と呼び変えさせてしまうほどの大流行だった。これは元文元年に改鋳した小判「真文字金」を略して文金といったものだが、同じころ豊後節で人気を博した宮古路文字太夫の名に通じることから、この様な髪形や服装を文金風と呼ぶようになった。この名を含む文金高島田は、女性の髪の結い方である高島田の変形のうちで比較的早くに誕生し、最も格の高いものとされる。特に根が高いものは武家の女性に結われ、町娘や京阪の芸妓遊女にも好んで結われた。現在でも白無垢の花嫁に結われている髪型である。
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