文学評論家と作家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 06:54 UTC 版)
文芸評論家が作家に準ずる存在として扱われる場合がある。評論文それ自体が後世に至り、一種の文学作品として扱われることもある。 文芸評論家は、小説や詩を批評することで、読者の理解を助けたり文学の質の向上に貢献する。国が近代化を進めている場合、評論家は思想やイデオロギーや価値観を作り出すという重要な役目を負うことがある。また、近代化は古いシステムや考え方をグローバル(世界的・国際的)で新しいものに変えていく過程であり、様々な矛盾や無理が生じる。しかし、国民生活は良くなっていくことが多いので、近代化の矛盾は繁栄の陰に隠れがちになる。文学は繁栄の影に隠れたものを物語に織り込んで姿を与え、評論家はその作品に込められたテーマを読み解く役割を果たす。 小林秀雄は、「自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ」と書き残している。
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