政治活動との関連における創作活動
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「ジャン=リシャール・ブロック」の記事における「政治活動との関連における創作活動」の解説
ブロックの政治活動は作家としての活動と密接に関わっている。1930年刊行の演劇論集『演劇の運命』において、万人のための演劇、大衆演劇を目指すと戯曲家としての立場を明確にし、1930年代に複数の戯曲を発表した。1932年に『鷲とガニュメデス』の第1巻として『シビラ』を発表したが、第2巻の執筆中にこの企画を断念し、第2巻の原稿も第二次大戦中に失われ、現存しない。1937年のパリ万国博覧会の際に、人民戦線からの依頼で『ある都市の誕生(Naissance d'une cité)』を執筆した。この作品は、後にナチス・ドイツ占領下の1942年にユダヤ人の大量検挙事件「ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件」があった場所として知られることになるヴェロドローム・ディヴェール(フランス語版)(冬季自転車競技場)で上演された。フェルナン・レジェによる舞台芸術、アルテュール・オネゲルとダリウス・ミヨーによる音楽、指揮はロジェ・デゾルミエールと前衛芸術家が参加し、大成功を収めた。 戦争の危機が迫るなか、ブロックはファシズム国家との闘い、およびスペイン人民戦線(共和派)政府への支持において共産党と活動を共にするようになった。1937年にスペイン人民戦線政府(共和派)を支援するために同政府の援助を得て共産党の新しい機関紙『ス・ソワール(フランス語版)』を創刊された際には、トレーズ書記長から依頼を受けたアラゴンに協力を求められ、共同で編集した。同紙はスペイン人民戦線を支持するガブリエル・ペリ(フランス語版)、ジャン・コクトー、ジョルジュ・サドゥール(フランス語版)、エルザ・トリオレ、ジュリアン・バンダ、ジャン・ブランザ(フランス語版)らが寄稿し、販売部数が1937年の12万部から2年後の39年に25万部に急増した(同年の『リュマニテ』の販売部数は約35万部)。ブロックは『ス・ソワール』紙でドイツに対する宥和政策であるミュンヘン協定を厳しく批判した。
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