政局再編
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1932年の大統領選挙と1934年の下院選挙により、投票行動に長期的な変化がもたらされると共に、政界再編の動きが活発化。その中でルーズベルトは1933年ニューディール政策に着手し、労働組合、リベラル派、宗教的、民族的あるいは人種的マイノリティ(なかんずくカトリック教徒、ユダヤ人およびアフリカ系)、南部出身の白人そして貧困層の連合体を築き上げていった。 大都市のマシーンにより組織的な厚みが生み出され、諸計画の実施に必要な数百万もの救済事業や数十億ドルに上る資金を獲得。やがてはこうした支持母体が有権者の多数派を形成してゆく。とりわけ9つの大統領選挙(1932年 - 1948年、1960年、1964年)で民主党候補が勝利を収め、1932年から1980年までの途中4年間を除き、同党が両院を制する原動力となる(共和党は1946年と1952年にて多数派となるのみであった)。 ただ、決して公的に組織されたものではなく、支持母体間の意見の相違も目立った。国政に関しては概ね進歩的な施策を支持した一方、外交や人種問題となると一致する所が少なかったのが好例と言えよう。また、この連合体を1896年から1932年までの第四政党制に代わり、「第五政党制」と呼ぶ政治学者もいる。 ジャーナリストのシドニー・ラベルが1948年の大統領選挙後に有権者の調査を行った結果、ここ20年間で発達した「新中間層」にとって、当選者である民主党のハリー・トルーマンの方が、共和党のトマス・E・デューイより無難かつ保守的な候補であることが分かったという。このことについて、次のように述べている。 少なからぬ有権者にとって、民主党は共和党に代わる「繁栄の政党」となった。郊外に転居した後、共和党に投票しなかったある男性にその理由を尋ねると、「私には良い家や良い車があり、両親の時代よりも暮らし向きが遥かに良い。生涯一民主党員でいますよ。どうして変える必要があるんです?」という答えが返ってきたのである。
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