攻囲戦の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/12 02:37 UTC 版)
9月末、守備隊はシェレメンテフ元帥指揮下の14,000名と対峙する。ピョートル1世も、この重要な作戦に参加していた。間もなく要塞は全方向から包囲され、シュリッペンバッハはフィンランドの司令官、アブラハム・クロンヒョルト(ドイツ語版)大将に来援を要請した。派遣された援軍はロシア軍に撃退され、ただ50名のみが要塞へ難を逃れる。その中には、若いレヨン少佐がいた。 この突破の試みが失敗した後、シェレメンテフ元帥はシュリッペンバッハ司令に要塞の降伏を要求する。しかし、司令は拒んだ。数日にわたる砲撃の末、要塞の壁には三つの突破口(ドイツ語版)が開く。城壁の内側で発生した火災は消し止められた。10月12日、ロシア軍は最初の攻撃を試みる。レヨン及びシャルパンティエ両少佐率いる、残った数少ない守備兵(戦闘可能なスウェーデン兵174名)は防壁の危険に晒された各部に分散していた。ロシア軍の攻撃は5時間にわたって続いたが、全ての攻撃地点で撃退される。 すぐに新しい部隊をもって第二波の攻撃が続いたが、これも退けられた。午後3時まで続いた三回目の攻撃も成功しなかった。四回目の攻撃は、メーンシコフが率いることとなる。士官20名まで損耗した守備隊は、次にどうするか思案した。レヨン少佐を除く全ての者が、四回目の攻撃を生き延びることはできないと考え、交渉と要塞からの自由な撤退に賛成した。レヨンは攻撃を待ち、ロシア軍が侵入した後に火薬庫に火をつけ、要塞を灰燼に帰すよう提案する。レヨンは破壊された要塞がロシア軍の役に立たず、フィンランドへの侵攻が頓挫することを確信していた。 しかし軍議はこの提案に反対し、司令は要塞の降伏に向けた手続きを開始した。ピョートル1世はスウェーデン軍の即時撤退を承認する。残った戦闘可能なスウェーデン兵83名と、156名の傷病兵は全ての装備を身に付け、行進して要塞を後にするとスウェーデン領に撤退した。
※この「攻囲戦の開始」の解説は、「ノーテボリ攻囲戦」の解説の一部です。
「攻囲戦の開始」を含む「ノーテボリ攻囲戦」の記事については、「ノーテボリ攻囲戦」の概要を参照ください。
- 攻囲戦の開始のページへのリンク