抗争の再燃
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1985年(昭和60年)10月に稲川聖城は、稲川会会長を五代目横須賀一家総長・石井隆匡に譲り、稲川会総裁に就任。間も無く、11月19日午後11時35分、花田組幹部3人が北見市山下町1丁目STビル2階のキャバレー「北海道」にいた星川とお供の組員を射殺。星川濠希は、頭、胸、肩に6発の銃弾を受け、組員は腹に1発の銃弾を受けていた。射殺した3人は20日午後に留辺蘂町で緊急逮捕された。 星川の通夜は22日に営まれ、約600人が参列。翌23日午前10時から北見市の星川宅で葬儀が行われ、約600人が参列したが、北見警察署は警察官200人を動員して星川宅周辺を警戒した。 12月11日午後5時頃に北見市北進町の食料品店「マルマサ商店」横の駐車場で、花田組佐藤組幹部が車を駐車したところ、肩や背中などに銃弾9発を撃たれた。銃撃された佐藤組幹部は、近くの病院に搬送されたが死亡。翌12日午後12時45分には北見市緑ヶ丘5丁目で乗用車を運転していた花田組佐藤組組員が、並走していたライトバンから胸を銃撃された。銃撃された佐藤組組員は、北見市の病院に搬送されて緊急手術を受け何とか一命を取り留めた。佐藤組組員を銃撃した星川組幹部2人とライトバンを運転していた星川組幹部は、北見警察署と北海道警北見方面本部に逮捕され、取調べの席で11日の佐藤組幹部の射殺事件も自供した。 手打ちが行われた後での抗争再燃ということもあって、一和会幹事長・佐々木将城(佐々木道雄とも名乗った。佐々木組組長)が中心となり稲川会との手打ち交渉を進め、1986年(昭和61年)1月15日午前11時、白老町虎杖浜のホテル「いずみ」で、稲川会と一和会の手打ち式が開始された。取持人は司政会議一宇憂國社青年隊代表の平野哲。一和会側から幹部6人、稲川会側から幹部6人が出席した。 その後、星川と組員を射殺した花田組幹部3人は、それぞれ懲役18年、懲役16年、懲役16年の判決を受けた。花田を射殺した星川組幹部2人は、それぞれ懲役18年、懲役16年の判決を受けた。12月に佐藤組幹部・組員を襲撃した星川組幹部3人は、それぞれ懲役20年、懲役18年、懲役16年の判決を受けた。
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