投網・釣りとは? わかりやすく解説

投網・釣り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 03:10 UTC 版)

朝日重章」の記事における「投網・釣り」の解説

芝居がない時は釣り投網打ちが多い。「生類憐みの令全盛期であっても、藩からの禁令出ても、そのようなものはどこ吹く風サボタージュ決め込み友人たちしょっちゅう殺生」と称して出かけている。 「予、味鏡へウグイ釣りへ行く。然れども西風吹いて、棹投じる及ばず空しく帰る志賀にて興津安右(興津右衛門遊び仲間)に逢ふ。御用水にて酒を給ぶ十二、三釣り帰る」(元禄6年5月17日) と、部屋住み、かつ新婚にも関わらず出かけており、 「昼過ぎより、予、山崎殺生に行く。より上十町余を網して打つ。塩(潮)先に鯐(すばしりボラの子)を打たんと欲し暮れ前にまた辺に来たる処に塩満ち深くして鯐一疋取れず。鯐は塩素凝(干潮)の時、の上下二十町余の間を打つといふ。また塩先のそろそろ来る時も吉と。戌半(午後8時ごろ)に帰る。」(元禄8年6月18日家督継いでからは釣りよりも投網網打ち)が多くなり、友人頼み大金金一分)を払って新しい網を作ったりしている。 「予、金谷坊池へ殺生に行く。」(宝永3年9月2日) 「予、昼半ごろより大曾根より金谷坊へ網打ちに行く。暮れて帰る。」(宝永3年9月6日) 「予、昼ごろより瀬左(石川左衛門前述)、平太姓名不明)と地蔵池網打ちに行く。道すがら酒飲み、楽。帰り、どぢゃう一升求め三人して食ふ。」(宝永3年9月9日) 「予、昼過ぎより地蔵池へ行く。」(宝永3年9月11日) 「予、昼半より地蔵池網打ち。」(宝永3年9月14日) 「予、殺生に行く。地蔵池にて網し、未(午後2時ごろ)前に帰り、また金谷坊池へ行く。多く得たり」(宝永3年9月17日) と、奉行になってからも飽きることなく邸宅から10km以上ある地蔵池徒歩何度も出向くなど、「殺生」に夢中であった。

※この「投網・釣り」の解説は、「朝日重章」の解説の一部です。
「投網・釣り」を含む「朝日重章」の記事については、「朝日重章」の概要を参照ください。

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