戦役の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 14:45 UTC 版)
「ポメラニア戦役 (1715年-1716年)」の記事における「戦役の影響」の解説
カール12世はスウェーデンに帰還した後、なお3年間デンマークとの戦争を続けたが、再びドイツの地を踏むことはなかった。そして1718年12月、フレドリクスハルド要塞の攻囲戦(英語版)において戦没する。その後、スウェーデンがヨーロッパの強国に復帰することはなかった。プロイセンはこの勝利により、北方からのあらゆる軍事的・政治的な圧力から脱する。 1720年1月21日、プロイセンとスウェーデンの間でストックホルム条約が締結され、講和が成立した。その結果、スウェーデンはオーダー川とペーネ川に挟まれた土地とともにシュテッティーン、ウーゼドム島、ヴォリン島、ヴィスワ潟(英語版)、スヴィーネ河口とディーフェノウ湾(英語版)をプロイセンに割譲する。その代償として、プロイセンは2,000,000ライヒスターラー(英語版)をスウェーデンに支払った。スウェーデンはフォアポンメルンの内、ペーネ川以北の割譲を免れ、事実上喪失していた支配を回復し、シュトラールズントを1815年まで領土に留めることができた。1720年7月3日、フレゼリクスボー条約でデンマークとも講和を結んだが、このかつての交戦国に600,000ライヒスターラーの賠償金を支払うよう強いられている。
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