戦役の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 11:27 UTC 版)
ウルム戦役は歴史上最も重要な戦略的機動の一つである。歴史家はしばしばこの戦役を戦術的な戦いではなく、戦略的な戦いであったとみなしている。ウルムでの決定的な勝利はブローニュでの長い訓練と入念な準備によるものであると信じられている。大陸軍はほとんど荷物を持たず、作物の収穫時期に敵地に侵攻し、オーストリア軍の予想を上回る速度で行軍を行った。この戦役の最も重要な点は軍団の有用性を証明した事である。19世紀から20世紀の主な戦いにおいて軍団は基本的な戦略単位となった。典型的な軍団は3つの歩兵師団と偵察用の軽騎兵旅団と、各師団ごとに予備の砲兵大隊を装備していた。軍団の大きさは長期間支援なしに独立して戦う事ができる規模にまで拡大し、自ら軍を展開し、現地の食料を接収することで、軍を維持することができた。当時では見られないほどの機動力と柔軟性を維持するために、当時のフランス軍は現代の軍の1/8の補給を必要としていた。ジョン・チャーチルとジャン・ヴィクトル・マリー・モローが南ドイツに侵攻したときはカバーしている戦線は小さなものであったが、1805年の大陸軍は幅161kmもの前線にわたって侵攻した。オーストリア軍にとってこの動きは完全に奇襲となり、同軍に事態の深刻さを軽視させる原因となった。
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