成立年代と著者とは? わかりやすく解説

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成立年代と著者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 19:19 UTC 版)

甲乱記」の記事における「成立年代と著者」の解説

成立年代不詳であるが、後述写本諸本のうち1904年に佐八郎紹介している『甲乱之記』巻末には天正10年1582年8月小田原神奈川県小田原市)で執筆された記述があるとされるが、現在この写本所在確認されず、検証されていない版本では江戸時代正保3年1646年)に開版したと記されており、成立下限同年とされる著者不明であるが、正保3年1646年武州江戸開版では末尾武田家春日虎綱高坂昌信)の甥である春日惣次郎によるとされる評語記している。『国書総目録』では春日惣次郎著者としている。春日惣次郎原本春日虎綱口述とされる甲陽軍鑑』を虎綱の没後書き継いだ人物とされ、武田氏の滅亡後佐渡島で『甲陽軍鑑』を書き上げ天正13年死去したという。惣次郎経歴写本系『甲乱之記』に記される天正10年8月小田原執筆矛盾し1967年服部治則正保版本評語記主惣次郎ではないとしている。また、2013年丸島和洋正保版本刊行時に存命中の著名な武田遺臣である惣二郎の名を記すことで知名度高めようとした意図指摘している。

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成立年代と著者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 06:53 UTC 版)

アルタン・ハーン伝」の記事における「成立年代と著者」の解説

アルタン・ハーン伝』の成立年代著作者については、コロフォンなどにはっきりした記述がないために諸説立てられていて定説がない。しかし、記載内容年代比較はっきりしているため、諸説の間に大差はない。 留金鎖…16世紀末から17世紀初め何年かの間。 ジュルンガ…1607年の春。 ハイシッヒ…1607年以降森川哲雄…1607年から1611年前半までの間。 ヒシクトクトフ…1607年頃。 著者について諸説あり、大体にしてアルタン・ハーン同時代の人物とみられている。 留金鎖…アルタン・ハーン同時代の人であり、仏教徒ダライ・ラマ3世を招くため、アルタン・ハーン使者として青海チャプチャル寺に行った。すなわち、仏教経典精通した学者アルタン・ハーン通訳書記であった。 ハイシッヒ…アルタン・ハーン同時代ではなくダライ・ラマ3世との会見にも参加していなかった。 若松寛…記述内容からしてアルタン・ハーン側近仏教明る人物ラマ僧)。 森川哲雄…アルタン・ハーンの孫であるオンブ・ホンタイジが直接書いたのではないとしても、その編纂大いに関わったということだけは言える。 ヒシクトクトフ…アルタン・ハーン基本的に同時代の人であった

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