御獄・神社とは? わかりやすく解説

御獄・神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 05:42 UTC 版)

多良間村」の記事における「御獄・神社」の解説

御獄(うたき)は沖縄固有の信仰部落を守る祖先神守護神)が宿る神聖な場所で、拝所うがんじゅになっている沖縄には仏教神道もなく、その代わり精霊信仰先祖信仰深く信じられ儀式行事化されていた。 嶺間御獄(みねまうたき) 字塩川嶺間区の北方隣接した小高い丘にあり、嶺間按司(みねまあじ)を祭る。嶺間御獄祭神である嶺間按司は、成化年間1470年頃)の人である。 按司は「キムンデバティビキ、ティンデバキムピキ」物語り教訓残した伝えられる遺漏説伝(球陽外巻)に、兼城間切糸満こととして、幸地の美殿なる者と倭人薩摩人)との問答に「心怒れば則ち手を動かす勿れ手動けば則ち当に戒心すべし」とある。 按司また、「神なしぎ祭」といわれる神名遊び」の伝授でも名高い白装束で男20人、女10人が13年廻りの子、丑、寅に当たる毎に10月中に13昼夜にわたり神歌高唱して神眞似遊びをするもので、「宮古史伝によれば中世まで行われていた。 按司は嶺間丘(ツヅ)に起居し、境内の北よりにあるミネマガー(泉)を整備して住民飲料水供したり、神名遊び伝授するなど人心教化努めた功績著大であった。 東隣りには、嶺間公民館がある。 泊御獄 塩川御獄 長い参道沿いには、胸高直径20-40cm、高さ8-10mのフクギ並木がある。この並木は、県指定天然記念物である。 普天間御獄 運城御獄(うんぐすくうたき) 運城御獄神名を「オトガフセライ神ニフセライ」と唱える300年前創設水納御嶽 もと集落があった地区北方小高い丘にある。15世紀後半水納島統治したミンナペーユヌスを祭る。島のすべての年中行事中心で、島の繁栄航海安全などを祈る拝所であった多良間神社 当時小学校長が主唱し1902年明治35年1月社殿完成させ、鎮座祭行った。島で初めてかつ、今も唯一の神社である。

※この「御獄・神社」の解説は、「多良間村」の解説の一部です。
「御獄・神社」を含む「多良間村」の記事については、「多良間村」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「御獄・神社」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「御獄・神社」の関連用語

御獄・神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



御獄・神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの多良間村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS