度重なる経営危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 01:24 UTC 版)
当初、順調に滑り出すかに見えたが、創業10ヶ月目にして1,240万円に上る不渡り手形をつかまされたことを皮切りに、通算10億円あまりもの不渡りをつかまされることになる。1980年からは珠(養殖真珠)を買い付け加工し製品化し始めるが、この際に資金のほとんどを投入したために翌年に買付けができなくなるが、運よく買えなかった1981年には30%もの急激な値上がりがあり、さらに翌年には逆に35%の値下がりしたため、損失を出さずに済んでいる。その後、採光が必要な真珠に隣地にビルが建つことで採光が悪くなり、この年度には珠の買付けを行わずに別社屋を購入するが、直後から不動産価格が急騰し、業績はよくなかったものの幸運に恵まれる。 1985年(昭和59年)には親しい同業者への融通と倒産で、1億5千万ほどの損害を被る。このとき、業者間では今啓パールは再生不可能と噂された。しかし、翌1986年に円高が進行している最中にふとした偶然から円が220円台から170円台に急騰した直後に300貫のシーズン珠を買え、2億円で昨年の4-5億円分の買い物ができ、損失分を取り戻すことができた。 設立後、6年間は今井が経営の一切を自らの手で行っていたが、ある研修で「一生懸命に事業をしてうまくいかないときは、その事柄はさておき、やっていないことにチャレンジしてみては」という講師の言葉にひらめき、「苦手な経理だけではなく、経営のすべてを社員に任せてしまおう」と決断。3年後には、社長が6人いるほどに社員が成長し、以来36年間業績を伸ばし続けてきた。現在では、目利きが必要で会社の命運を左右するような浜上げ真珠の入札ですら、若手社員に権限を委譲し任せているが、こうした経験をもとに今井は著書『業績を伸ばす任せっぱなし経営』(幻冬舎、2015年9月10日)を刊行。
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