広田遺跡とは? わかりやすく解説

広田遺跡

名称: 広田遺跡
ふりがな ひろたいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 鹿児島県
市区町村 熊毛郡南種子町
管理団体
指定年月日 2008.03.28(平成20.03.28)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 九州島南方に浮かぶ種子島南東部海岸面した砂丘上に所在する墓地遺跡である。昭和30年発見され昭和32年34年にかけて発掘調査が行われ、合葬を含む90基の埋葬遺構158体の人骨、44千点以上の製品など確認した埋葬されたのは、弥生時代後期後半から古墳時代後期併行する時期である。遺構としては、土坑墓、覆石墓、複数人骨数体ごとに再埋葬した墓がある。副葬品は豊富で、貝符・竜佩型貝製垂飾、オオツタノハ貝輪ゴホウラ貝輪、イ
モガイ珠・ツノガイ珠といった貝玉があり重要文化財指定されている。
 南種子町教育委員会では、遺跡構造明らかにする発掘調査実施し昭和期調査区周辺にも墓域広がること、北へ50mの砂丘北端別の埋葬遺構存在確認した
 このように広田遺跡は、弥生時代後期後半から古墳時代にかけての大規模な墓地遺跡である。覆石墓をはじめとする埋葬型式種子島独自の墓制あり方を知ることができる。また、各種の貝製品を伴う人骨良好に遺存していることから、生活風習埋葬習俗あり方を知ることもできる列島弥生古墳時代社会南島社会接点における社会・生活あり方を知るだけでなく、わが国文化形成多様性を知るうえで重要である。

広田遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 08:10 UTC 版)

広田遺跡(ひろたいせき)は、鹿児島県熊毛郡南種子町に所在する弥生時代後期から7世紀にかけての墓地遺跡。国の史跡座標: 北緯30度25分29.5秒 東経130度58分2.2秒 / 北緯30.424861度 東経130.967278度 / 30.424861; 130.967278


  1. ^ 林国広(2015年3月26日). “知って、広田遺跡の魅力 南種子にミュージアムと公園 貝の美、集団墓地”. 朝日新聞(朝日新聞社)


「広田遺跡」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「広田遺跡」の関連用語

広田遺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



広田遺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの広田遺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS