布石における天元とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 布石における天元の意味・解説 

布石における天元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 05:26 UTC 版)

天元 (着点)」の記事における「布石における天元」の解説

囲碁布石においては、地をとりやすい小目・星など隅から打ち始めることがセオリーとされている。しかし碁盤中央最初から占め打ち方も、昔から考えられていた。例え第一着を天元打ち、後を相手マネをして点対称位置に打つ「太閤碁」などがそれである。下図太閤碁一例(1929(昭和4)年、呉清源(黒)-木谷實) しかし専門棋士でこれを最初に試したのは、先の二世算哲であった。彼は当時最強者・本因坊道策対戦するにあたり、自らの天文学理論応用して第一着を天元打ち下ろした。しかし道策冷静に対応し安井研究不足もあって9目の負けとなったその後南里与兵衛がやはり道策初手天元立ち向かったが、中押し負け喫している。 その後長く初手天元現れず、明治時代入って黒田俊節本因坊秀甫打った記録ある程度である。天元脚光を浴びるのは、昭和時代になってからになる。木谷實呉清源の提唱した新布石の中で中央重視する手法として打ち出され久保松勝喜代は特に熱心にこれを研究した久保は、「中央大きな地を築くよりも、戦い活用すべき着点」との見解示している。 さらに呉清源が、本因坊秀哉名人との対戦三々・星・天元連打する布石打ち、大センセーション巻き起こすこととなった。 (白:本因坊秀哉 黒:呉清源新布石旋風が止むと再び初手天元用いられなくなりマネ碁対策などとして散発的に打たれる程度となった有名な碁としては、1950年東西対抗戦山部俊郎橋本宇太郎に対して初手天元放ったものがある。橋本ノータイム天元ケイマガカリ山部間髪入れずケイマに受け、大い囲碁ファン沸かせた。当時東西対抗意識最盛期達していた時期で、挑発的な感情背景にあったといわれる。 (黒:山部俊郎 白:橋本宇太郎平成時代入っては、山下敬吾天元戦集中的に初手天元試して話題となった。また依田紀基なども時に天元打ち試し、白番2手目での天元なども打っている。下に示すのは2000年新鋭トーナメント戦決勝にて、山下敬吾高尾紳路相手に白番天元放った一局

※この「布石における天元」の解説は、「天元 (着点)」の解説の一部です。
「布石における天元」を含む「天元 (着点)」の記事については、「天元 (着点)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「布石における天元」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

布石における天元のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



布石における天元のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの天元 (着点) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS