工夫を凝らした自主トレーニング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 15:56 UTC 版)
「下柳剛」の記事における「工夫を凝らした自主トレーニング」の解説
「自分で考えて練習したい」という意向が強かったことから、ダイエーでの若手時代には、兄が所属していた自衛隊の那覇基地でトレーニングを実施。日本ハム以降の現役時代には、シーズン終了直後の秋季キャンプへ参加せず、他のベテラン選手に先んじて離島での自主トレーニングに励んできた。ちなみに、離島へ向かう前には、親友の桜庭などと共に髙田道場で総合格闘技式のトレーニングへ参加。日本ハム時代には、岡部哲也の指導でノルディックスキー式のトレーニングに臨んだことや、春季キャンプ中に練習前の準備運動(アップ)へ参加していた桜庭と共に50mを50回走ったこともある。 阪神への移籍を機に、日本ハム時代から面識のあった福島大学の白石豊教授(スポーツ・メンタル・トレーニング専攻)からメンタル・コントロールの方法を伝授。2003年の2桁勝利や、2005年の史上最年長最多勝記録などにつなげた。2004年からは、鈴木久嗣による指導の下に、11月から春季キャンプ直前までの3ヶ月間にわたって沖縄本島や石垣島で陸上競技(ハードルややり投など)やサイクリングのトレーニングに挑戦。2007年以降は、奄美大島に腰を据えながら、自主トレーニングに取り組んでいた。その一方で、加圧トレーニングの指導資格を所持。金本が右肩を痛めた2010年には、金本に加圧トレーニングを指導している。ちなみに、下柳は自主トレーニングが縁で、奄美大島観光物産協会から奄美観光大使に任命。しかし、現役引退後の2017年3月に『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送テレビ制作)のロケで同島を訪れるまでは、島内を観光した経験がなかったという。 阪神時代から下柳のグラブに刺繍されていた「前後際断」という4文字は、下柳が白石の勧めで読んでいた「不動智神妙録」(沢庵宗彭)から引用した「座右の銘」である。下柳は、同書の現代語訳を通じて、「もう終わった過去(前)も未来(後)も気に病んだり不安に思ったりしたら、その時点から集中できなくなってしまう。そうなれば、良いパフォーマンスを発揮することはできない。結局、ピッチングも1球1球の積み重ねである」と解釈。グラブに「前後際断」の刺繍を入れるようメーカーに依頼したうえで、ピンチの場面でその刺繍を見ることによって、心を落ち着かせていた。
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