山本 和とは? わかりやすく解説

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山本和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 00:42 UTC 版)

山本 和(やまもと かのう、1909年11月28日 - 1995年3月8日[1])は、日本基督教団牧師神学者。日本の代表的なバルト主義者。


  1. ^ a b c d 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.599
  2. ^ 『福音と世界』2005年5月号「大東亜書翰と『バルト神学』」一条英俊
  3. ^ 日本キリスト教協議会『キリスト教大事典』1963年


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山本和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 18:37 UTC 版)

摂理 (神学)」の記事における「山本和」の解説

日本基督教団牧師で、関東学院大学及び玉川大学教授であった山本和は、「摂理」(pro-videre;Providence;Vorsehung)の原意は神の「予め見ること」「予め配慮すること」、と説明している。 Pro-videreの語源は、創世記アブラハム息子イサクを神に捧げることを止められたとき、偶然発見した雄羊代わりに捧げ、「神備え給わん」(Jahwe jireh)と言ったが、この句がラテン語聖書では<Deus providet>と訳されたことに由来する。 すなわち、神が人間のために、その知恵御心によって被造物存在持続のために必要なもの予見し、予め備え配慮することが「摂理」であるとする。それはマタイによる福音書(6:26)でイエス語った「空の見よ、播かず刈らず倉に収めず、されど汝ら天の父はこれを養いたまう、・・・まして汝らをや」という言葉からもうかがえる。人間は他の被造物以上に「予め配慮」されているというのであるまた、山本和は、創造続いて起こる継続的な神の管理歴史が「摂理」だと主張する創造者被造物の関係は、創造においては前者から後者への一方的な関係であるのに対し創造後の摂理においては被造物創造者の知と意と行為参与する相互的な関係であるとしている。 すわなち、キリスト教においては、神の定めた絶対的な御心創造以前からの救いに関する決定を「予定」とし、そこには人間の自由が参与し協力する余地はないとする一方、「摂理」は人間自由意志介在し人間協力しうる領域における神の御心を指すものであるとする。

※この「山本和」の解説は、「摂理 (神学)」の解説の一部です。
「山本和」を含む「摂理 (神学)」の記事については、「摂理 (神学)」の概要を参照ください。

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