小泉と共産主義
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小泉は共産主義の批判者であったが、同時に共産主義を深く研究していた(後の日本共産党幹部野呂栄太郎のマルクス経済学研究を支援したという主張もある)。小泉が社会主義に興味を持つ切っ掛けとなったのは、幸徳秋水等が処刑された大逆事件である。小泉は1920年代、河上肇やその弟子でのちに労農派の論客となる櫛田民蔵と激しく論戦を闘わせた。なお、恩師とされる福田徳三は1903年『国家学会雑誌』誌上で河上肇と論争を開始していた。 『共産主義批判の常識』は1949年(昭和24年)に新潮社より刊行されベストセラーとなった。新潮文庫(1954年(昭和29年))や講談社学術文庫(1976年(昭和51年))で改訂再刊し、多くの著作中でもっとも多く読まれた著書の一つである。塾長退任後に刊行された『共産主義批判の常識』は、昭和初期に行った共産主義批判の論文と内容に大差はないが、マルクス・レーニン主義が国家再生の思想としてもてはやされていた状況を憂慮し、戦後のソ連共産主義についての直接の言及が多くなっている。この流れで講和問題でもソ連とは与せず単独講和論を主張している。
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