宗有の剣術とは? わかりやすく解説

宗有の剣術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 01:41 UTC 版)

寺田宗有」の記事における「宗有の剣術」の解説

剣術界に竹刀稽古広まり主流となっていく中で、宗有はこれに反発しもっぱら木刀による形稽古基盤とした組太刀研究打ち込んだ。のちに中西道場宗家4世継いだ中西子正やその弟子筋に当たる千葉周作らも組太刀を宗有から学ぶようになった。『日本剣豪100選』の著者綿谷雪寺田宗有について、のちに彼の門人となった白井亨とともに剣術では日本最終名手とし、組太刀天下無敵といわれた人物は、この両人以後には出現しなかった、という。 千葉周作は、寺田宗有白井亨について、「寺田氏は自分構えた木刀の先より火炎燃え出づると云ひ、白井氏は我が木刀の先よりは輪が出づると云ひ、何れも劣らぬ名人なり」と語っている。また、山田次朗吉寺田白井について「実に二百年来名人として推賛の辞を惜しまぬ」と記している。 さらに千葉の剣術物語』には、次のようなエピソードがある。 中西道場竹刀稽古形稽古優劣盛んに論じられていたころ、竹刀派の門人が宗有に稽古所望した。宗有は、自分竹刀稽古はやらないが、強いて望みとあれば素面小手相手をするので、君たち防具着け遠慮なく打ち込むがいいといい、その言葉通り防具着けずに木刀下げて道場中央進み出た。これを聞いた竹刀派の門人はいきり立ち、宗有の面を一打ち、と心中に念が兆したとたんに「面へくれば、摺り上げて胴を打つぞ」といわれ、それなら小手打とうと思うと、間髪を入れず小手来れば切り落として突くぞ」と宗有の声がかかった。こうして思念の動くところをことごとく読まれ未然抑えられ、その上宗有の剣先からは火を吹くかと思われんばかりに鋭い気合が迫るので、相手はそら恐ろしくなり、満身汗だくでなにもできずに引き下がってしまった。ほかにも何人かが挑んだがみな同様な目にあい、処置なしとなった一同あらためて宗有の腕前敬服し組太刀悪口をいう者もいなくなった千葉は、この試合見て組太刀重要性悟ったという。組太刀達人寺田派より千葉周作伝わった五行形が虎韜館で今も稽古されている。

※この「宗有の剣術」の解説は、「寺田宗有」の解説の一部です。
「宗有の剣術」を含む「寺田宗有」の記事については、「寺田宗有」の概要を参照ください。

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