完全雇用の達成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:59 UTC 版)
「ナチス・ドイツの経済」の記事における「完全雇用の達成」の解説
諸計画を合計するとドイツ国家は1933年から1935年にかけて雇用創出費として50億マルク投じ、うち30億マルクは雇用創出手形によって調達された。この手形償還は1938年までに終了したが、財源は不明確である。また、雇用に関する減免税は1933~1934年にかけて7億9000万マルク、租税証券発行も12億790万マルクに達した。 政府は雇用創出のため、機械力などによる経済合理化を制限することで、人手を増加させる方策をとった。第一次ラインハルト計画や1933年7月15日の「タバコ産業における機械使用の制限に関する法」には機械力制限が明記されており、事業資金中の賃金費用の割合が増大した。事業資金全体に占める賃金割合はパーペン計画では43.8%、緊急計画では38.0%、アウトバーン建設では46%、第一次ラインハルト計画に至っては70%であった。 パーペン計画、緊急計画、第一次ラインハルト計画の三計画によって1935年までに50万人の雇用が生み出され、さらにドイツ国鉄も4万人の職員を雇用した上に6万人を短期雇用し、さらに発注によって工業・手工業界に25万人の雇用を生み出した。また郵便事業などの公社も個別に雇用を増大させている。 1933年の一年間で失業者は200万人減少したが、工業雇用の回復よりも失業者数の減少が大きいなど、再び生産過程に吸収されたのはその7割ほどであった。また従来失業者にカウントされていた失対労働者、農業補助者、勤労奉仕者を労働者として数えるという統計操作も行われていた。しかし失業者を減少させるという社会政策的には大きな意味があり、ナチス政権の安定化に寄与した。1935年以降の再軍備による軍の雇用もあり、1937年には失業者数を求人者数が上回り、ほぼ完全雇用が達成された。
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