奈良時代から室町時代の鯨肉贈答の記録
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「鯨肉」の記事における「奈良時代から室町時代の鯨肉贈答の記録」の解説
712年(和銅5年)の古事記のなかで神武天皇に鯨肉が献上されたという記述がある。文献『古事記』 1570年(永禄13年)織田信長が禁裏へ鯨を献上。山科言継は禁裏より織田信長が献上した鯨肉を拝領した。文献『言継卿記』 1577年(天正5年)水野監物が織田信長に鯨肉を贈った、その返礼が信長よりなされており「鯨一折到 来候細々懇 情別而悦入候 猶参上之時 可申候也 正月十六日信長」という内容の感状が書かれている。文献「織田信長から水野監物への黒印状」 1578年(天正6年)、織田信長が家臣の細川藤孝(幽斎)に宛てた正月12日付の書状に、現在の愛知県知多半島で取れた鯨肉を朝廷に献上し、藤孝にも裾分けする旨が記されている。 1582年(天正10年)鯨肉ではないが、「鯨桶」(鯨肉を運ぶための専用の木桶)が、伊勢国より正親町天皇へ2つ、誠仁親王へ1つ、勧修寺晴豊へ1つ献上された。文献『晴豊記』 1589年(天正17年)高橋丹波守は北条氏政と北条氏規に鯨肉を献上した。 1591年(天正19年)長宗我部元親が豊臣秀吉に鯨一頭献上。文献『土佐物語』 1612年(慶長17年)里見忠義が榎倉長兵衛を介して伊勢神宮に鯨の尾の皮を献上している。「一、領分の船、鯨留め候上、壱疋の内より、初尾の為一尺八寸の皮壱枚宛とらるべく候事 慶長拾七 弐月七日 忠義判 榎倉長兵衛殿」(『千葉県鋸南町の醍醐家の古文書』)。
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