奈良市長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 03:37 UTC 版)
奈良県・奈良市はホテルの数が日本で最も少ないため、平城遷都1300年記念事業での集客へのマイナスの影響を懸念した藤原は市長就任の翌年、外資系ホテルの奈良市への誘致を計画する。唐突なホテル誘致の計画に奈良市民からは反発の声も上がったが、藤原は奈良商工会議所に対し「宿泊施設検討委員会」の設置を指示。さらに奈良商工会議所、社団法人奈良市観光協会の連名で、ホテル誘致に賛同する意見書を提出させた。百出する反対意見を半ば黙殺する形で奈良市はホテル「コートヤード・バイ・マリオット」の誘致に向けた交渉を開始したが、直後に起こったアメリカ合衆国のサブプライムローン問題に端を発する金融危機により、ディベロッパーのゼファーが破綻し計画は頓挫する。 2008年には奈良市内の不動産管理会社が「JR駅前ホテル開発株式会社」を設立して国土交通省の中心市街地活性化計画の一環である民間都市整備機構の助成金を申請し、総額60億円の支援が決定。これを受け藤原は再度、ホテル建設の計画を提案するも、地元の企業や金融機関からの支援が集まらず、2009年3月に計画は再び頓挫した。尚、ホテル誘致に併せてJR奈良駅の東側の区域を整備する計画も進められていたが、ホテル誘致の頓挫により、駅前の開発計画もまた白紙に戻されている。 2009年7月の奈良市長選挙には出馬しない意向を表明し、1期で市長を退任(後継をめぐる市長選には前市長の鍵田忠兵衛も衆議院議員を辞職して出馬したが、仲川元庸に敗れた)。引退後は再び畿央大学で教鞭を執る。 藤原の市長退任後間もなく、ホテル建設が予定されていた土地に石炭の滓や煉瓦の端材が投棄されていた事実が判明した。 表 話 編 歴 奈良市長 官選安元彦助1898.2-1898.4 桐島祥陽1898.4-1898.7 大森吉兵衛1898.9-1902.1 李田登太1902.4-1905.3 松井元淳1905.4-1908.2 木本源吉1908.4-1911.10 西庄久和1911.11-1919.5 佐川福太郎1919.7-1925.3 大国弘吉1925.8-1929.8 森田宇三郎1929.8-1933.8 石原善三郎1933.9-1937.9 松井貞太郎1937.10-1939.10 瀧清麻吉1939.10-1945.12 石川清蔵1946.6-1946.11 公選片岡安太郎1947.4-1951.4 高椋正次1951.4-1967.4 鍵田忠三郎1967.5-1980.9 木山弘1980.9-1984.9 西田栄三1984.9-1992.9 大川靖則1992.9-2004.9 鍵田忠兵衛2004.9-2005.7 藤原昭2005.7-2009.7 仲川元庸2009.7- .mw-parser-output .asbox{position:relative;overflow:hidden}.mw-parser-output .asbox table{background:transparent}.mw-parser-output .asbox p{margin:0}.mw-parser-output .asbox p+p{margin-top:0.25em}.mw-parser-output .asbox{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox-note{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox .navbar{position:absolute;top:-0.75em;right:1em;display:none} この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
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