大本神諭と予言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 15:03 UTC 版)
『大本神諭』は「神の申した事は、一分一厘違わんぞよ。毛筋の横巾ほども間違いはないぞよ。これが違うたら、神は此の世に居らんぞよ」「大本は世界の鏡の出る処であるから、世界に在る実地正味が、皆にさして見せてあるから」と主張する。神懸かり初期のなお(直)は周囲から「発狂した」「狐か狸がついた」と見られていたが、「綾部の金神さん」という評価を得るに至ったのは日清戦争の予言だった。ほかにも関東大震災や太平洋戦争を示唆する表現もある。特に1923年(大正12年)の関東大震災で東京が甚大な被害を受けると多くの人々が「神諭の予言が的中した」と受け取り、第一次大本事件により大打撃を受けていた大本は一転して熱烈な支持を受けることになった。 この後、1930年代の大本は王仁三郎の指導下で爆発的に発展すると、革命を起こしかねない危険勢力として1935年(昭和10年)12月に日本政府(岡田内閣)の徹底的な弾圧を受けた(第二次大本事件)。綾部と亀岡の本部は焼け野原状態となり、1942年8月に保釈された王仁三郎は廃墟となった亀山城址(大本聖地)を見て「このように日本はなるのや、亀岡は東京で、綾部は伊勢神宮や」と語ったとされる。松本健一は王仁三郎の発言について、なお(直)の「東京は元の薄野に成るぞよ。永うは続かんぞよ。東の国は、一晴れの後は暗がり。これに気の附く人民はないぞよ」という筆先を下敷きにしていると指摘した。
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