大塚物語とは? わかりやすく解説

大塚物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:36 UTC 版)

南総里見八犬伝」の記事における「大塚物語」の解説

物語は再び嘉吉元年1441年)にさかのぼる。結城合戦敗れた番作は、鎌倉公方近習であった父から公方家の宝刀村雨丸託され落ち延び長い旅の末に故郷武蔵大塚村戻った。しかし大塚家の家督村長の職は、姉の亀篠蟇六夫婦奪われており、番作は姓を犬塚改め隠棲した。長禄4年1460年)、番作と妻の手束(たつか)の子として生まれたのが犬塚信乃である。 蟇六夫婦は、番作の隠し持つ村雨奪おう画策し信乃飼い犬与四郎管領家からの御教書破損したと言いがかりをつける。番作は自害することで信乃を救うとともに再興され公方家(足利成氏)に将来村雨丸献上することを託す蟇六夫婦村人の手前信乃を引き取ることとし養女浜路将来の婿とすることにした。蟇六夫婦下男・額犬川荘助)を信乃監視にあてる。しかし、ふとしたきっかけから信乃荘助互いが同じ珠と痣を持っている事を知り義兄弟契りを結ぶ二人表向き不仲装いながらともに文武研鑽に励む。村人糠助死に際して珠と痣を持つ息子犬飼現八のことだがその時点で信乃荘助は現八という名前を知らない。)がいたことを語ったこと、梅の木八房の梅の実が生り仁義八行の文字浮かび上がったことから、同じ縁に連なる義兄弟存在予感する。 文明10年1478年)、信乃18歳の夏6月蟇六夫婦信乃勧めて古河公方成氏の許に旅立たせる信乃亡き者として浜路陣代の側妾に差し出そうとするたくらみであり、村雨丸蟇六夫婦指示浪人網乾左母二郎偽物すりかえていた。信乃を慕う浜路旅立つ前夜信乃に情を訴えるも聞き容れられず、信乃去ってしまう。蟇六夫婦によって婚礼支度進められていることに悲観した浜路縊死試みたが、浜路横恋慕する網乾攫われる道中本郷円塚山(まるつかやま)で、網乾本物村雨丸所持していると知った浜路はこれを取り返そうとし、逆上した網乾によって斬られてしまう。そこに煉馬家旧臣犬山道節(実は浜路異母兄)が現れ網乾殺害する浜路本物村雨丸信乃に渡すよう道節に頼むが、煉馬家滅ぼした関東管領扇谷定正接近して殺害するため村雨丸利用しようとする道節はこれを拒絶し浜路失意の中で息を引き取る信乃栗橋まで送った荘助がここに行き合い、道節と斬り合いになるが、道節は火遁の術を使って逃れた斬り合いの中で二人の持つ珠が入れ替わった荘助浜路葬り大塚への帰路を急ぐ。

※この「大塚物語」の解説は、「南総里見八犬伝」の解説の一部です。
「大塚物語」を含む「南総里見八犬伝」の記事については、「南総里見八犬伝」の概要を参照ください。

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