大塚物語
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物語は再び嘉吉元年(1441年)にさかのぼる。結城合戦に敗れた番作は、鎌倉公方の近習であった父から公方家の宝刀・村雨丸を託されて落ち延び、長い旅の末に故郷の武蔵大塚村に戻った。しかし大塚家の家督と村長の職は、姉の亀篠と蟇六の夫婦に奪われており、番作は姓を犬塚と改めて隠棲した。長禄4年(1460年)、番作と妻の手束(たつか)の子として生まれたのが犬塚信乃である。 蟇六夫婦は、番作の隠し持つ村雨を奪おうと画策し、信乃の飼い犬・与四郎が管領家からの御教書を破損したと言いがかりをつける。番作は自害することで信乃を救うとともに、再興された公方家(足利成氏)に将来村雨丸を献上することを託す。蟇六夫婦は村人の手前信乃を引き取ることとし、養女浜路の将来の婿とすることにした。蟇六夫婦は下男・額蔵(犬川荘助)を信乃の監視にあてる。しかし、ふとしたきっかけから信乃と荘助は互いが同じ珠と痣を持っている事を知り、義兄弟の契りを結ぶ。二人は表向きは不仲を装いながらともに文武の研鑽に励む。村人の糠助が死に際して珠と痣を持つ息子(犬飼現八のことだがその時点で信乃と荘助は現八という名前を知らない。)がいたことを語ったこと、梅の木に八房の梅の実が生り、仁義八行の文字が浮かび上がったことから、同じ縁に連なる義兄弟の存在を予感する。 文明10年(1478年)、信乃18歳の夏6月、蟇六夫婦は信乃に勧めて古河公方成氏の許に旅立たせる。信乃を亡き者として浜路を陣代の側妾に差し出そうとするたくらみであり、村雨丸は蟇六夫婦の指示で浪人網乾左母二郎が偽物にすりかえていた。信乃を慕う浜路は旅立つ前夜の信乃に情を訴えるも聞き容れられず、信乃は去ってしまう。蟇六夫婦によって婚礼の支度が進められていることに悲観した浜路は縊死を試みたが、浜路を横恋慕する網乾に攫われる。道中の本郷円塚山(まるつかやま)で、網乾が本物の村雨丸を所持していると知った浜路はこれを取り返そうとし、逆上した網乾によって斬られてしまう。そこに煉馬家旧臣犬山道節(実は浜路の異母兄)が現れ、網乾を殺害する。浜路は本物の村雨丸を信乃に渡すよう道節に頼むが、煉馬家を滅ぼした関東管領扇谷定正に接近して殺害するため村雨丸を利用しようとする道節はこれを拒絶し、浜路は失意の中で息を引き取る。信乃を栗橋まで送った荘助がここに行き合い、道節と斬り合いになるが、道節は火遁の術を使って逃れた。斬り合いの中で二人の持つ珠が入れ替わった。荘助は浜路を葬り、大塚への帰路を急ぐ。
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