大国隆正とは? わかりやすく解説

おおくに‐たかまさ〔おほくに‐〕【大国隆正】

読み方:おおくにたかまさ

[1793〜1871]江戸末期国学者石見(いわみ)の津和野藩士。江戸生まれ。姓は今井、のち野之口。平田篤胤(ひらたあつたね)に国学昌平坂学問所古賀精里(こがせいり)に儒学学んだ後、文人墨客と交わる。また、村田春門(むらたはるかど)に音韻学学び長崎遊学し洋学修めた。著「六句歌体弁」「古伝通解」など。


おおくにたかまさ 【大国隆正】

幕末国学者石見津和野藩の子。初姓は今井、名は秀文・秀清とも。号は佐紀乃屋・園。平田篤胤村田春門学び脱藩して野之口と改姓、京坂地方国学教えた後年また津和野藩士に復帰し大国主命遺跡因んで大国改姓明治になり神祇事務局判事。著『本学挙要』他。(一七九二一八七一)

大国隆正

読み方おおくに たかまさ

幕末維新国学者石見津和野藩士。姓は野々口、のち大国。名は秀文・秀清、字は子、号に佐紀之屋・園等。平田篤胤国学を、昌平黌儒学を、村田春門音韻学学び洋学もおさめる。京都家塾本学舎を開き津和野藩養老館教授となる。維新後は神祗局諮問役・宣教師御用掛などを務めた著書多数明治4年(1871)歿、80才。

大国隆正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 00:23 UTC 版)

大国 隆正(おおくに たかまさ、寛政4年11月29日1793年1月11日〉 - 明治4年8月17日1871年10月1日〉)は、幕末明治維新期の国学者神道家石見国津和野藩出身。


  1. ^ a b c 朝日新聞社 (1994)「大国隆正」
  2. ^ 田尻佐 (1975), p. 35「特旨贈位年表」


「大国隆正」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大国隆正」の関連用語


2
野之口隆正 デジタル大辞泉
100% |||||





7
萩原広道 デジタル大辞泉
96% |||||




大国隆正のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大国隆正のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
中経出版中経出版
Copyright (C) 2024 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大国隆正 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS