おおくぼ‐ただひろ〔おほくぼ‐〕【大久保忠寛】
大久保忠寛
大久保一翁
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 14:40 UTC 版)
大久保 一翁(おおくぼ いちおう) / 大久保 忠寛(おおくぼ ただひろ)は、幕末から明治時代にかけての旗本、政治家。東京府知事、元老院議官を務めた。栄典は従二位勲二等子爵。
注釈
出典
- ^ a b 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 95.
- ^ 「大久保一翁、悴の事相談」 - 「勝海舟日記」
- ^ 『官報』第1169号、明治20年5月25日。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、123頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 「式部寮より大久保戸塚叙位宣下御達」 アジア歴史資料センター Ref.C04026923400
- ^ 『官報』第678号「賞勲叙任」1885年10月2日。
- ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。
- 1 大久保一翁とは
- 2 大久保一翁の概要
- 3 人物
- 4 参考文献
大久保 忠寛
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「大久保忠寛 (深徳院弟)」の記事における「大久保 忠寛」の解説
享保2年10月2日(1717年10月24日))は、江戸時代の旗本。紀州藩士大久保忠直の長男で、徳川吉宗の側室お須磨(深徳院、徳川家重生母)の弟。母は紀州藩士内藤幸右衛門守政の娘。通称、八郎五郎。娘に笹本喜福の妻。喜福の子の大久保忠省(ただみ)を養子とした(のちに実家の笹本に復する)。
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