国際政治上の中立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 21:05 UTC 版)
第二次世界大戦後、侵略者に対する加盟国の軍事行動を定めた国際連合憲章が制定され、国際法的な中立の矛盾は拡大した。さらに、国際社会がヨーロッパ国家体系とは質的に違った地球大のものになり、軍事的・政治的・経済的な相互依存の関係も飛躍的に強まった。大国を巻き込まない地域的戦争も多発しているが、それは主として第三世界で発生し、多くがゲリラ戦的様相を伴うため、伝統的中立の理念は通用しにくくなった。他方、大国を二分した東西対決がもし戦争に至れば、それは核戦争となることが予想され、第三国が戦争を避けて存在しうる余地は少ない。1955年にはオーストリアの憲法規程による中立宣言が国際的な承認を得たが、国際法的な中立の可能性は低下し、それに代わって国際政治的な中立が大きく浮かび上がってきた。前者の中立が戦争に巻き込まれないで自国の地位を維持しようという消極的・自己保存的なものであるのに対して、後者のそれは国際的な対立と緊張を緩和し、戦争の可能性を防止しようとする積極的・能動的なものである。前者が地位であるとすれば、後者は政策である。第二次世界大戦後に交戦権の放棄を憲法で謳った日本においては、日米安全保障条約からの離脱を主張する政治勢力が、前者の意味で非同盟中立ないし非武装中立というスローガンを掲げることもあった。しかしながら、中立政策を実際に採用している国々は、中立という言葉に含まれる消極的・受動的な印象を避けるため、ほとんどがその政策を非同盟と呼んでいる。
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