国勢調査の起源と名称について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 00:36 UTC 版)
「国勢調査 (日本)」の記事における「国勢調査の起源と名称について」の解説
日本の国勢調査の原型は、明治12年(1879年)、杉亨二が中心となって現在の山梨県で行われた「甲斐国現在人別調」とされている。この調査は、本格的な全国規模の国勢調査(人口センサス)に向けての試験調査として行われたものであったが、当時の社会情勢ではまだ本調査の実施の機運は十分に高まらなかった。 日清戦争(明治27年(1894年)8月 - 28年(1895年)4月)の終わった明治28年(1895年)9月、欧米諸国の統計局長及び著名な統計学者により構成される国際団体である国際統計協会 International Statistical Instituteから日本政府に対して「1900年世界人口センサス」への参加の働きかけがあった。これを契機として国勢調査の実施の機運が高まることとなった。 このような背景から、明治29年(1896年)、貴族院及び衆議院では「国勢調査ニ関スル建議」が可決された。日本の公的な資料において国勢調査の語が登場したのはこれが最初である。この建議では、国勢調査について、「国勢調査ハ全国人民ノ現状即チ男女年齢職業…(中略)…家別人別ニ就キ精細ニ現実ノ状況ヲ調査スルモノニシテ一タビ此ノ調査ヲ行フトキハ全国ノ情勢之ヲ掌上ニ見ルヲ得ベシ、…」との記述があり、このことから、「国勢調査」という名称は「国の情勢」を調査するという意味で名付けられたものと考えられている。 国勢調査を実施するための根拠となる「国勢調査ニ関スル法律」は、この建議から6年後の明治35(1902年)12月2日に成立し、公布された。これに基づき、第1回国勢調査は明治38年(1905年)に行われることになっていたが、日露戦争(明治37年(1904年) - 38年(1905年))のため、実施は見送られた。さらにその10年後の大正4年(1915年)にも、その前年から日本も参戦した第一次世界大戦の影響で実施が見送られ、最初の国勢調査の実施は大正9年(1920年)10月1日となった。 「国勢調査」の語源については諸説があり、論文に登場する最も古い用例としては、臼井喜之作の明治26年(1893年)の学会誌論文に「国勢大調査」という語が見られる。この中には、「彼の日本新聞は客年既に国勢調査の必要性を論じて曰く…」との記述があり、このことから、実際に「国勢調査」の語を使用した最も古い事例は日本新聞と考えられている。 なお、「国勢」という語は、国勢調査以前にも大隈重信などにより用いられている。大隈重信は、明治14年(1881年)に建議した「統計院設置の件」の冒頭で、「現在ノ国勢ヲ詳明セサレハ 政府則チ施政ノ便ヲ失フ 過去施政ノ結果ヲ鑑照セサレハ 政府其ノ政策ノ利弊ヲ知ルニ由ナシ …(中略)…現在ノ国勢ヲ一目ニ明瞭ナラシムル者ハ統計ニ如クハナシ」と述べている(大意:現在の国の情勢を詳しく明らかにしなければ、政府は施政の手段を失う。過去の施政の結果を詳しく調べなければ、政府はその政策の利点や弊害を知る方法がない。…現在の国の情勢を一目で明瞭にするものとして統計に並ぶものはない)。「国勢」という語は、statistics(語源はstate=国)の訳語に充てられていた「国勢学」にも用いられていたことからも分かるように、明治初期以降、一般に用いられていたものと推定される。 なお、一説には横山雅男ら当時の統計学者の中には人口調査などとはせず、あえて「国勢(国家の勢力)調査」としたとの見方もある。これは、当時の「国の力を増し、欧米に追いつき追い越せ」という風潮に乗り、「国の勢力を調べる調査」というイメージを含ませることによって国家指導者の調査への賛同を得るという思惑があったためだとの見方もある。
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