周辺経済への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 11:55 UTC 版)
パナマ運河を航行する船舶は膨大な量にのぼり、東西両洋を結ぶため重要性も極めて高い。この膨大な需要は、運河周辺に様々な産業を立地させることになった。建国の経緯から言ってもパナマ共和国はパナマ運河計画があって初めて成立しえた国家であるが、経済的にもその他の面においてもパナマ共和国は運河に多くを負っている。運河の両端に位置するパナマ市とコロン市にはパナマの経済活動の75%が集中しており、この両市の経済活動のかなりが運河に直接関係したものや、または運河建設による産業基盤整備によって新たに生まれたものである。運河を行き交う船への物資の供給や船舶の修理用のドック、船員たちへの商品・サービスの提供、運河の修繕・維持管理などは運河に直接関係した産業であるが、他にも運河の両端に整備されたパナマ市のバルボア港やコロン市のマンサニージョ港は海運の拠点となっており、なかでもマンサニージョ港はラテンアメリカ最大のコンテナ港となっている。また、交通の要衝であることを利用して運河の大西洋側に整備されたコロン自由貿易地区は世界第2の規模を誇る自由貿易地区へと成長した。 パナマ運河を構成するガトゥン湖やアラフエラ湖は周辺の豊富な降雨を水源としており、水質は非常に良い。このため、この両湖の水はパナマ市の上水道の水源として利用されており、ガトゥン湖の水利用の3.2%はパナマ市の上水道用となっている。この水を利用しているため、パナマ市では上水道の水はそのまま飲用可能である。 パナマ運河の周辺地域は1903年から1999年までアメリカ施政下の運河地帯となっており、アメリカ政府の手によって学校や病院をはじめ、アメリカ人たちが生活していくのに十分な社会基盤が整備された。パナマ運河の返還によってこれらの施設はパナマ政府に無償で譲渡され、パナマ政府は両洋間地域庁を設立してこれらの施設や土地の開発を進めた。両洋間地域庁は移行を完了させて2005年に解散したが、この開発によって運河沿いには研究施設や観光施設が相次いで建設され、ガトゥン湖畔には2つのリゾートホテルが建設されて運河の風景と熱帯の自然を楽しめるようになった。
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