名古屋電力設立とは? わかりやすく解説

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名古屋電力設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 14:31 UTC 版)

兼松煕」の記事における「名古屋電力設立」の解説

地元岐阜県加茂郡では、兼松衆議院議員となる前から木曽川利用する水力発電計画持ち上がっており、1897年明治30年)に最初水利権出願なされていた。この計画その後しばらく停滞していたが、計画を有利であると判断した兼松参入してから実現向けて動き出す。まず兼松は同じ岐阜県出身在京実業家岩田作兵衛らを計画誘い次いで名古屋訪れて当時名古屋商業会議所会頭奥田正香名古屋財界協力得た水利権許可後の1906年明治39年2月東京名古屋実業家出資によって資本金500万円にて名古屋電力株式会社発足奥田正香社長に就任し兼松取締役一人となった名古屋電力1908年1月加茂郡八百津町において八百津発電所建設着手する発電所出力1万キロワットで、発生電力名古屋方面送電する計画であった。その名古屋では、旧尾張藩士族中心となって設立した名古屋電灯1889年明治22年)に開業し以来電気供給行っていたが、新興名古屋電力在来名古屋電灯では、発電所規模会社規模どちらも名古屋電力優っていた。しかし名古屋電力難工事による工事費増大日露戦争後不況によって資金不足に陥ってしまう。名古屋電灯側では名古屋電力との不利な競争未然に防ぐべく、常務取締役となったばかりの実業家福澤桃介中心となって名古屋電力合併向けて動き出しその結果1910年明治43年10月両社合併成立した合併後11月兼松名古屋電灯取締役選任され直後福澤交代して同社常務就任した。 名古屋電力設立を契機として兼松奥田正香接近以降しばらく奥田の下で活動することとなり、奥田腹心実業家四天王」の一人となった(「四天王」は兼松のほか鈴木摠兵衛上遠野富之助安東敏之)。具体的には、1908年1月奥田理事長務め名古屋株式取引所理事となり、翌年3月には株式取引所代表して商業会議所議員となって奥田補佐役となった。なお「四天王」のうち鈴木上遠野財界正道を行くようなタイプであったが、兼松安東裏道通って仕事をする黒幕の人」といったタイプであったという。 そのほか知多半島における鉄道敷設計画岩田作兵衛らと参加し1910年11月発足した愛知電気鉄道初代社長岩田作兵衛名古屋鉄道前身一つ)の取締役にも就任した

※この「名古屋電力設立」の解説は、「兼松煕」の解説の一部です。
「名古屋電力設立」を含む「兼松煕」の記事については、「兼松煕」の概要を参照ください。

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