同人『文藝都市』
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基次郎は1927年(昭和2年)6月の第28号をもって終刊となった同人誌『青空』の後、元同人の阿部知二と古澤安二郎らが紀伊國屋書店から翌1928年(昭和3年)2月に創刊した同人誌『文藝都市』に参加し、3月号に『蒼穹』を寄稿していた(詳細は青空 (雑誌)#終刊後を参照)。 さらに同誌から寄稿を依頼されていた基次郎は、2年前の『新潮』からの執筆依頼で未発酵だった構想や、正月の川端康成の貸別荘での覗きの濡れ衣体験からの二重人格のヒント、過去の経験から得た高台イメージなどを総合し、5月に『ある崖上の感情』を書き上げた。 『ある崖上の感情』が7月号に発表された後、紀伊國屋書店の2階で開かれた同人の月例合評会(今日出海、舟橋聖一、蔵原伸二郎、浅見淵、崎山猷逸、織田正信、井伏鱒二が出席)に基次郎も呼ばれて参加した。『ある崖上の感情』を読んで感銘していた新入りの井伏鱒二はこの席で初めて噂の人物・基次郎を見て、「どつしりとした体格で、ごつい感じの風貌」の印象を受けた。 今日出海と蔵原伸二郎も、片隅で目を光らせて座る基次郎の姿を初めて目にし、文士らしからぬ厳めしい顔に驚きつつ、たくましい骨格と怪異な風貌で弱々しい呼吸をしている基次郎に注目した。進行役と議長を兼ねた舟橋聖一の音頭で、各人の掲載作の合評は行なわれた。 合評会が終わり、紀伊國屋書店の店先に出た織田正信は、基次郎が友人から金を借りている姿を見かけた。その光景は貸している友人の方が「これでいいのか」と惨めな顔つきで、借金をする基次郎の方が堂々としていて、あたかも煙草を1本もらうかのようにお札を掴むと、基次郎は肩を張って夜の新宿の町に消えて行った。しかしその後ろ姿に、どこかみすぼらしさのようなものも織田は感じた。 この頃、基次郎は昼間でも発熱し、左肺には二銭銅貨の大きさの穴があいていた。この時期、新宿の通りで基次郎と偶然行き会って同行した蔵原伸二郎は、生汗を滲ませ青白い顔をしている基次郎を心配し無理をしないように助言すると、「いや無理をしてゐるんではないんですが、寝てゐたつて同じなんです」と基次郎は返事をした。蔵原はその言葉の「一寸絶望的」、「ニヒリスティックな響」に、痛みに似た悲しみに打たれると同時に、「そこから梶井さんの芸術が生れるのだ」と感銘した。
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