単離・構造決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 02:46 UTC 版)
1887年、高橋順太郎(東京帝国大学)と猪子吉人が共にフグ毒の研究を始め、1889年にフグ毒が生魚の体内にあること、水に解けやすいことなどから、高橋はそれがタンパク質(酵素)様のものでないことを証明し、毒力表を作成した。 1909年、田原良純(東京帝国大学)によりフグ毒成分が世界で初めて単離され、テトロドトキシンと命名された。なお、名称は Tetrodon(フグ科のタイプ属、現在はTetraodonが綴りとして一般的)と toxin(毒)の合成語である。しかしその複雑な構造や化学的不安定性から構造決定は難航した。田原による方法で得られた毒は、LD50 4.1 mg/kg(マウス)と現在の致死量 LD50 8-9μg/kgから換算すると、毒含量はわずか0.2%程度である。 1964年、平田義正(名古屋大学)、津田恭介(東京大学)、ロバート・バーンズ・ウッドワード(ハーバード大学)の3グループが独立に構造決定を行った。同年京都市で開催されたIUPAC国際天然物化学会議において、この3者が同時に同じ構造を発表している。また、同じセッションに登壇したスタンフォード大学のハリー・モッシャーは、カリフォルニアイモリ (Taricha torosa) の毒がテトロドトキシンと同一であることを示してマフグ科のふぐだけに存在するものではないことを初めて示した。1970年に、X線結晶構造解析により絶対配置が決定された。
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