南北戦争による荒廃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/15 08:22 UTC 版)
「サウスカロライナ州の歴史」の記事における「南北戦争による荒廃」の解説
南部は人口、武器、海洋技術で不利であった。南部の者で水夫は希であった。連邦政府の艦船が南部に移動し、港を一つ一つ封鎖していった。11月には既に、北軍がボーフォート地区の諸島を占領し、チャールストンやサバンナの港を塞ぐ人員と艦船の重要な基地とした。多くのプランテーション所有者は既に遠くに逃げ場を求めており、時には奴隷も連れて行った。 諸島に残ったアフリカ系アメリカ人はこの戦争で最初に「解放された人」となった。諸島は教育のための実験の場となり、北部の任務を帯びた教師達が元奴隷の成人や学ぶことに熱心な子供達を見出し、またアフリカ系アメリカ人は自分達のために土地を確保できたので自給自足農業を始めた。 サウスカロライナは重要な拠点であり、1863年から北軍はチャールストンを占拠しようとして失敗したが、1865年まで州内では軍事的衝突はあまり起こらなかった。北軍の将軍ウィリアム・シャーマンがサバンナで海への進軍を完成させ、コロンビアを占領してノースカロライナに向かった。この行軍にはほとんど抵抗が無かった。1865年に行われたシャーマンの両カロライナの行軍によって、コロンビアや他の多くの町が焼かれた。 州内には貧窮の時代が来た。農業不況が起こり、労働市場における変化が農業を混乱させた。またサウスカロライナ州は他の南部州よりも多くの若い白人男性を戦争で失っていた。記録に残る戦死者は18,666名であるが、戦争による負傷が元で死に至った者は21.146名に達すると考えられる。これは1860年時点での国勢調査でサウスカロライナ州の18歳から45歳までの白人男性のうち31ないし35%に相当した。 1865年2月21日、南軍が遂にチャールストンを明け渡し、黒人第55マサチューセッツ連隊が市中に入った。アメリカ合衆国国旗がサムター砦に再度掲げられる式典で、元砦の司令官ロバート・アンダーソンは2人の者と掲揚台に上がった。その2人とはアフリカ系アメリカ人で北軍の英雄ロバート・スモールズとデンマーク・ビージーの息子であった。
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