南北戦争とレコンストラクション時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 10:10 UTC 版)
「アメリカ合衆国の共和主義」の記事における「南北戦争とレコンストラクション時代」の解説
歴史家のフランク・ローレンス・オーズレーは、南北戦争前の南部社会を、奴隷と貧乏白人の間に立って働いた自営農を経済模様の一方の極にし、大規模プランテーション所有者を対極に据える幅広い階級として、説明した。オーズレーは、真の南部は自由で、アメリカ人で、ジェファーソン主義であり、急進的でも反動的でもないと主張した。これは共和主義原則の最良のものを反映している(オーズレーは「共和主義」という言葉を使っていないが、その追随者は使っていた)。20世紀の農本主義は南部に浸透していった工業主義やモダニズムに対する反応だった。オーズレーに拠れば、北部に対抗する南部の立場は奴隷制度、綿花、あるいは州の権限で創られたのではなく、2つの地域が互いを誤解したことで創られたことになる。J・ミルズ・トンプソンは、南北戦争前の南部で共和制の価値を残そうという力が最も強力であり、南部人をしてその共和制価値に対する脅威と見えた北部の政策を妨げさせたと論じている。 1854年のカンザス・ネブラスカ法に反応した北部の反奴隷制度勢力は新党を結成した。その党は公式に「共和党」とされた。これは1776年の独立戦争に共鳴する名前だったからである。ミシガン州の会議では「共和政府の第一原則のために戦う必要性という見解で、さらにこの大地が呪われ、人が貶められるような最も革命的で抑圧的である貴族制の計画に対抗し、我々は協力し、共和主義者と呼ばれることになる」という決議を行った。 南北戦争後、共和党は解放奴隷に市民権を確保するための重要な側面は彼らに選挙権を与えることだと考えた。真の政治的教育は選挙権を行使し、政治目的を作り上げることで得られると考えた。当時は男性のみが投票を認められた。解放奴隷に市民権を与え、男性に参政権を与える憲法修正が成立した。
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