加藤派とは? わかりやすく解説

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かとう‐は【加藤派】

読み方:かとうは

自由民主党の派閥の一。宏池(こうち)会の平成10年1998)から同14年における通称会長加藤紘一。同12年加藤森喜朗内閣不信任案賛成姿勢見せたことから派は分裂翌年堀内光雄らがもう一つ宏池会立ち上げた。→小里派堀内派


加藤派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 10:06 UTC 版)

加藤の乱」の記事における「加藤派」の解説

当時世論森政権自民党への支持極端に低かったことから、加藤への期待感がとても大きかったにも関わらず離党拒否し投票棄権したことにより逆に加藤への失望感批判渦巻いた。 加藤派の人数大幅に減少し第2派閥から第6派閥転落したこと、内閣改造党役員改選によって加藤派の小里貞利総務会長離任し森田一吉川芳男閣僚離任したことによって、加藤党内影響力大幅に低下した翌年、かつての盟友小泉総理総裁就任すると、靖国参拝問題助言するなど、外交経験乏し小泉相談相手として一定の存在感回復した。しかし翌2002年政治資金問題報じられ秘書逮捕などによって派閥会長辞任、党離党さらには議員辞職追い込まれ総理総裁候補から完全に脱落した議員辞職後衆院選議員当選して国政復帰自民党復党し、加藤派の後継である小里派最高顧問就任したが、加藤及び小里派政界影響力には既に限界があった。この様なことから、小里派も派の看板将来総裁候補呼ばれていた谷垣切り替えた谷垣小派出身者ながらも小泉内閣財務相に就任ポスト小泉一人として認知されようになった加藤倒閣運動を起こさなければ派閥分裂起こらず第2派閥領袖として地位保ち2001年2月えひめ丸事故契機とするポストにおいて、加藤総理総裁になっていたと見る向きも多い。

※この「加藤派」の解説は、「加藤の乱」の解説の一部です。
「加藤派」を含む「加藤の乱」の記事については、「加藤の乱」の概要を参照ください。

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