出雲大社教歴代管長
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「出雲大社東京分祠」の記事における「出雲大社教歴代管長」の解説
初代 千家尊福(せんげたかとみ) 1845年(弘化2年)8月6日-1918年(大正7年)1月3日。1872年(明治5年)11月19日に第80代国造・出雲大社宮司を拝命。1881年(明治14年)、出雲大社遷宮を斎行する。この頃、明治政府は、維新で目指した祭政一致を踏襲することが出来ず、神社行政は朝令暮改と激変する時代であった。1882年(明治15年)、内務省通達神官教導職分離令により、神官による布教の道を閉ざされ、国家国民の安寧を強く危惧した。出雲大社布教の教団を組織せんと宮司職を依願退職し、それまであった出雲大社教会を、認可を得て特立。これを以って、神道大社教が創設され、初代管長に就任。主な経歴、1906年(明治39年)旭日章受章。貴族院議員(4選)、埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事、司法大臣を歴任した。男爵・正二位・勲一等。 第二世 千家尊愛(せんげたかあき) 1887年(明治20年)6月8日就任。日本人入植者の多いハワイでの布教を宮王勝良に命じ、ハワイ分院設立の端緒を開いた。宮家や明治元勲の国葬を奉仕。 第三世 千家尊有(せんげたかもち) 1918年(大正7年)4月10日就任。全国各地に教会を設立、朝鮮・台湾・ハワイ・北米など世界的な規模に発展した。入植者の多い国々へ教師を派遣した。 第四世 千家尊宣(せんげたかのぶ ) 1954年(昭和29年)11月19日就任。戦後、国学院大学理事・大蔵倉精神文化研究所理事を務めた。「玉串」に関する見解は、現代に於いても基礎となった。 第五世 千家達彦(せんげみちひこ) 1963年(昭和38年)8月28日就任。 第六世 千家隆比古(せんげながひこ) 2014年(平成26年)6月18日就任。現在、出雲大社権宮司を兼務している。
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