てんれい‐もんだい【典礼問題】
典礼論争
典礼問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/16 20:14 UTC 版)
「ニコロ・ロンゴバルド」の記事における「典礼問題」の解説
マテオ・リッチは儒教について融和的な考えを持っており、儒教でいう「上帝」をキリスト教の神の意味で用いた。しかし、後継者のロンゴバルドや、日本で宣教した経験をもつジョアン・ロドリゲスはリッチの方式に反対であった。1623年-1624年ごろロンゴバルドは「上帝・天神・霊魂ほかの中国語の術語に関する論争についての短い解答」という論文をまとめた。この文章は非公開だったが、後にイエズス会の方針に反対するドミニコ会のドミンゴ・フェルナンデス・ナバレテによる1676年の著書の一部として、そのスペイン語訳が出版された。さらに、17世紀末のヨーロッパで典礼論争が激しくなると、パリ外国宣教会のルイ・シャンピオン・ド・シセが同書を1701年にフランス語に翻訳して出版した。この書物はゴットフリート・ライプニッツに影響を与え、「中国自然神学論 中国哲学についてド・レモン氏に宛てた書簡」を生むことになった。
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