南北朝正閏論とは? わかりやすく解説

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なんぼくちょう‐せいじゅんろん〔ナンボクテウ‐〕【南北朝正×閏論】

読み方:なんぼくちょうせいじゅんろん

南朝北朝のどちらを正統とするかについての論争。「神皇正統記」や「大日本史以来経緯があるが、明治44年(1911)両朝対等とした国定教科書記述問題化し執筆者文部省編修喜田貞吉休職処分となり、以後南朝正統とする考え方第二次大戦敗戦時まで支配的となった


南北朝正閏論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 16:22 UTC 版)

南北朝正閏論(なんぼくちょうせいじゅんろん)とは、日本南北朝時代において南朝北朝のどちらを正統とするかの論争。とは「本来あるもののほかにあるもの」「正統でないあまりもの」を意味する字である。


注釈

  1. ^ 『足利治乱記』には後亀山天皇と後小松天皇が会見して神器の引き渡しが行われたように記されているが、明治時代三浦周行が『日本史の研究』において、『南山御出次第』『御神楽雑記』など、当日の次第を記した書物が全て神器の還御の手続で行われていることを指摘して、両天皇の会見を根拠のない俗説であると結論付けている。

出典

  1. ^ 元弘3年3月17日付「紙本墨書後醍醐天皇宸翰宝剣代綸旨」(出雲大社所蔵、重要文化財)。
  2. ^ a b c d 大日方純夫 2011
  3. ^ 『第27回帝国議会衆議院記事摘要』衆議院事務局、1911年、p.237
  4. ^ 『衆議院議事録 第27巻第13』〔衆議院〕、〔1911年〕、pp.396-397
  5. ^ a b 野村 2019, p. 25.
  6. ^ 野村 2019, p. 12.
  7. ^ 文部省編『尋常小學日本歴史―教師用』,1911,p.190,https://nieropac.nier.go.jp/lib/database/KINDAI/EG20085853/?lang=0&mode=1&opkey=R167292199137669&idx=3&codeno=&fc_val=
  8. ^ -天皇陵-歴代順で探す
  9. ^ 野村 2019, p. 28.
  10. ^ 水戸部正男他 『図説 歴代天皇紀』秋田書店、1989年、p.308。
  11. ^ a b 村田正志『南北朝史論』1971。
  12. ^ 岩佐美代子『光厳院御集全釈』2000。
  13. ^ 瀧川「南北朝を論ず」(『後南朝史論』,1956)pp.35,36
  14. ^ 亀田俊和『南朝の真実』2014。


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