個体発生学上の実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 09:10 UTC 版)
「ハンス・シュペーマン」の記事における「個体発生学上の実験」の解説
1896年の冬、結核患者隔離用のサニタリウムで過ごしながら、シュペーマンはアウグスト・ヴァイスマンの著書 "The Germ Plasm: A Theory of Heredity" を読んだ。彼は自伝にこう書き記している。 「私は、類い希なる明敏さを以て、その究極の結果に対して念入りに作り上げられた、遺伝と発生における1つの理論に気付いたのだった・・・・・・そしてそれは私の実験研究への刺激剤になった」 当時の発生学研究は、どれも矛盾した結果を示していた。1888年、ヴィルヘルム・ルーは、2割球期に熱した針を刺して1つの割球を殺す実験を行った。ルーが残った割球がどう成長するか観察したところ、半分の胚が形成された。1892年、ハンス・ドリーシュは同じ実験をウニ胚で行ったが、彼は2割球のうち1つを殺す代わりに、胚をいくつも管の中に入れ、それを振って細胞を分けた。ドリーシュは、ルーの発見とは異なり、やや小さいが完全に発生した胚ができた、と報告した。この食い違いは、ドリーシュが2割球を完全に分けたのに対し、ルーは片方を殺したことにあると考えられている。他方、トーマス・ハント・モーガンやオスカー・ハートヴィヒ(英語版)などは、前成説・後成説論争決着に大きな意義があるとして2割球分割実験に挑んだが、満足な結果を得ることはできなかった。 シュペーマンはこの困った問題を解明するため、微小手術の名手として両生類の眼に関する研究に取り組んだ。1902年までには、ジャック・レーブやアウグスト・ヴァイスマンの研究を元に、最初の細胞分裂の研究に取りかかっていた。彼が20世紀初頭に発表した論文は実験的な形態形成分野の発展に大きく寄与し、彼自身も微少手術の真の発明者として科学界でもてはやされた。彼は細胞を産毛(英語版)で結紮(けっさつ)して分割することに成功した。彼は、2割球期のイモリ胚を新生児の毛で結紮し、人工的な双子形成を行う実験などで成功を収めている。シュペーマンは半分の割合で完全な胚ができることを報告し、分割面が重要との事実を発見した。この事実は前成説を追いやり、シュペーマンがポール・ワイスから学んだ "Morphogenetic field" との概念を支持した。またこれらの結紮実験やその他の他細胞胚実験を通じて、胚の割球には、初期発生に重要な遺伝情報が全て含まれていることを証明した。 彼はまた、イモリ胚の実験から水晶体が眼杯によって誘導されていることを発見している。 1906年、シュペーマンはドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナのメンバーへ選出された。
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