佐田浜の埋立と開発とは? わかりやすく解説

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佐田浜の埋立と開発(1960-1985)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:07 UTC 版)

佐田浜」の記事における「佐田浜の埋立と開発(1960-1985)」の解説

高度経済成長期になると国道167号現・国42号・167号の重複区間)の拡幅検討され山側を通す2案と海側を通す1案が提出された。ちょうど観光シーズン自動車渋滞岩崎桟橋船舶混雑解決求められていたこともあり、佐田浜海岸埋め立て新港建設し新国道海岸沿いに建設することを決定した佐田浜開発は、初代市長中村幸吉構想した大規模開発事業1つであり、2代目市長谷本荘司事業引き継いだ一般市民計画知ったのは1961年昭和36年)のことで、市内14団体連合して鳥羽湾埋立反対同盟結成し反対運動起こす至ったが、1966年昭和41年6月2日鳥羽市役所起工式挙行された。埋立面積は約6.8 haに及び、埋め立て用の土砂は堅神団地(現・池上町東部切り崩し発生したものを利用した1967年昭和42年)には新国道建設着工1968年昭和43年5月20日近鉄鳥羽線建設近鉄志摩線改良工事始まった1969年昭和44年5月志摩勝浦観光汽船(現・志摩マリンレジャー)の鳥羽湾めぐり遊覧船鳥羽市営定期船乗り場相次いで岩崎桟橋から新港移転した。翌1970年昭和45年3月1日には近鉄鳥羽線開通埋立地建設され近鉄鳥羽駅営業開始し7月21日鳥羽港センター鳥羽パールビル開館式を挙行12月1日佐田浜市営駐車場(現・佐田浜第一駐車場)が開かれ新港はほぼ完成したこの間1970年昭和45年5月1日公募していた新港の名称が決定し、「佐田浜」と発表された。この頃はまだ、佐田浜駅裏認識されていた。 その後埋め立て開発続き1971年昭和46年3月18日三重交通鳥羽バスターミナル完成し1972年昭和47年)に埋め立て終了した。荷揚場防波堤建設され名古屋蒲郡とを結ぶ水中翼船発着場佐田浜設けられた。この時、縁期のある小島陸続きとなり、佐田浜西公園となった佐田浜埋立契機となった新し国道167号は4車線1973年昭和43年3月18日開通し幹線道路山側市街地から海辺埋立地移動した佐田浜埋め立て完了後、鳥羽港中部中之郷でも埋立工事始まり佐田浜観光港、中之郷産業港として機能分担させた。1977年昭和52年3月18日には、廃業したボウリング場大幅に改造して鳥羽一番街誕生した

※この「佐田浜の埋立と開発(1960-1985)」の解説は、「佐田浜」の解説の一部です。
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