会計基準の国際化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:08 UTC 版)
会計の国際化の動きとして、1949年にアメリカ会計学会が中南米の会計基準を制定、1951年に欧州会計士連合が発足、1957年に極東会計士会議が発足した。 国際会計士連盟の国際監査基準は1992年に受諾された。ヨーロッパでは、1970年代の欧州共同体(EC)の時代から会計実務の調和が進められ、欧州連合(EU)においても継続している。国際連合(UN)、国際通貨基金(IMF)、経済協力開発機構(OECD)、東南アジア諸国連合(ASEAN)などの機関にも会計基準に特化した部門が設立された。 1980年代後半以降の会計の国際統合の中心となったのは、国際会計基準委員会(IASC)である。IASCは1973年に、各国会計士団体の参加によって、民間団体として設立された。当初のIASCの国際的な影響力は大きくなかったが、1987年に証券監督者国際機構(IOSCO)の支持を受けた。IASCの発表する国際会計基準(IAS)は、1989年の公開草案(ED)第32号「財務諸表の比較可能性」の発表によって、多くの代替的な会計処理の廃止による比較可能性向上が図られる。IASCは1998年に包括的な会計基準体系(コア・スタンダード)を完成させ、2000年にはIOSCOがIASを全世界的な使用をするものとして承認している。IASCは2001年に現在の国際会計基準審議会(IASB)に改組され、IASBの発表する国際財務報告基準(IFRS)は、2005年までにEUの上場企業での強制適用が取り決められた。アメリカのFASBも、IASBとの会計基準の共同開発に取り組むことに合意(ノーウォーク合意)し、国際会計基準との差異解消を図っている。 日本では金融ビッグバンにともない、1990年代後半から会計ビッグバンが進められ、2000年3月期から会計実務が変更されていった。それまでの日本の会計は損益計算を最優先する収益費用中心観の立場をとっており、取得原価主義だった。収益費用観は伝統的な会計の考え方だったが、FASBやIASBは資産負債観による会計基準を設定するようになっていった。会計ビッグバン以降は、日本でも資産負債中心観に基づく会計基準が導入されるとともに、時価主義的な会計処理が新たに取り入れられるようになった。他方で、2018年時点でも、日本では収益費用観に重きを置く考えも根強く、収益費用観も会計基準の国際化に一定の影響を与えている。
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